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異世界犯罪分析官



   Prologue


 軽快な口笛が聞こえてくる。すぐ近くからだ。
 ぼくは、目をさました。冷静に、状況を認識しようとつとめた。
 両腕両脚を、しばられている。なんとか首をよじって、横を見た。
 暗い。等間隔で置かれたロウソクのゆらめく炎が、唯一の光源だ。信じがたいほどよごれたいくつもの部屋や壁が、前から後ろへとながれていく。くさったテーブルやねじれたイス、割れた陶器、ゆがんだなにかが、床に散乱している。
 ぼくは運ばれていた。ストレッチャーのような車輪つきの台にあおむけの状態で固定され、抵抗することもできず、暗い洞窟のような屋内を、奥へ、奥へ。
 見上げると、ストレッチャーを押す人物の姿が見えた。口笛の主だった。曲調は、場所にも状況にも似合わず、喜劇的だ。真っ黒なフードに身をつつみ、奇妙な仮面をかぶっている。こちらを見下ろすこともせず、どんどん前へ押していく。
 床の上のなにかを、車輪が踏みくだいた。
 どこからか、絶叫のようなものが聞こえてきた。狭い屋内の壁を幾度も反響し、ぼくのところまで届いてくる。ぼくは、それが、自分の知る人間のものではないことを祈った。心から祈った。祈るだけでは足りないことくらい、わかっていた。
 地面の上のなにかを踏むたびにガタガタ揺れる台の上で、からだの内側からあふれだしてくるふるえを、懸命にこらえようとした。
 考えろ。
 脳に指令を送るが、頭のなかは恐怖でいっぱいだ。恐怖に支配されている。
 ぼくは、自分がもといた世界のことを思った。東京を思い、アメリカを思った。わずかな学校生活のことや、これまでに経験した事件のことを思った。この世界に召喚されて以来、はじめてのことだった。
 角を曲がり、長いまっすぐの廊下を抜け、角を曲がり……。
 にごった空気のなか、ロウソクのにおいの合間をぬって、ただよってくる臭気。
 天井から、ケモノの死体がつるされていた。血が、したたり落ちている。
 ぼくは吐き気をこらえた。
 やがてぼくをのせた台は、そんなに広くない、がらんとした部屋の中央でとまった。台を押していた人物は、ぼくを台の上に残したまま、部屋を出ていく。
 状況を認識しようとした。
 自分をとらえたのは、連続殺人犯か? ここは、その隠れ家なのか? 女性たちを、じっくり時間をかけて切りきざんだ、拷問部屋なのか?
 だれかが、部屋のなかに入ってきた。さきほどの人物とはちがう。
 ぼくは、なんとかそっちを見ようとからだを動かした。
 その人物は、壁のほうを向いていた。棚からなにかをとりだしている。ナイフやハサミが、ちらっと見えた。わずかな炎の光を吸収し、するどく光っていた。
 その人物がふりかえり、なにかを手に、近づいてきた。
 殺されるのか? もっと、ひどい目に合うのか?
 話しかけて時間をかせぐか? 逆効果になるだろうか? 刺激すべきか否か?
 考えているうちに、相手は、すぐ横にまできていた。
 そっと、冷たいものが、喉におしあてられた。刃物でまちがいない。その切っ先が、わずかに、皮ごしに肉に食いこんでいる。
 その人物が、顔を近づけてきた。笑っていた。その吐息が、鼻先をついた。
 ようやく顔が見えた。
「ああ……」
 ぼくは、その人物を知っていた。
 目と目が合う。
 ぼくは、プロフェッショナルでありながら、その目の奥にある表情を、いっさい読み取ることができなかった。それで、相手もプロフェッショナルなのだ、と理解した。
「……どうする気ですか?」
 ぼくの問いに、その人物は、やはり笑う。ぼくを占有し、もてあそぶような、笑み。そんなふうに笑うのを見るのは、はじめてだった。じっと、ぼくの顔をのぞきこんでくる。
 そして。
 そっと、ぼくの唇に、自分の唇を重ねてきた。
 ふっくらと冷たい感触に、入りこんでくる舌先に、そのすべてに。
 死の、味がした。



   Act 1


「えーと……」
 ぼくは、咳ばらいをした。
 職業柄、人見知りをするほうではないが、相手は、異世界の少女たちだ。
 えび茶色の壁に囲まれた空間には、大きな丸テーブルと、高い背もたれのついたイスが置かれている。壁ぎわには簡素なソファや、脚つきのコルクボードもある。
 ここは、森のなかに設営された、〈捜査騎士団〉の本部だ。メンバーの居住空間も兼ねた施設で、そのなかのミーティングルームにて、ぼくとQ、そして三人の少女たちは、たがいに打ち解けないまま、とりあえず共通の話題となりうる事件の話に入ろうと、準備を始めていた。
 ぼくは、あらためて、出逢ったばかりの三人の少女に目を向けた。
「もきゅう~」
 床であぐらをかいている、獣耳や尻尾が生えた、背の高い少女。獣人族のモクは、弓術・体術や自然学を得意とする。動物の言葉を理解し、わずかな土から地域を特定するといった技能もあるらしい。彼女は言葉を発さず、基本的にボディランゲージで意思疎通をおこなう。弓と矢筒を背負い、動物の皮でできたムダに露出の多い服を着ている。とくに胸部は、そのサイズもあって、やけに強調されている。
 ……あぶない。必要以上に、見入ってしまった。
 次だ。
「…………」
 無表情でイスに座り、ぼーっとしている短髪の少女、ナズナ。モクとは打って変わって、小柄だ。幼女体型といってもいい。だが、見た目からは想像もできないほど俊敏な動作を可能とし、情報収集や潜入捜査など、隠密行動を担当としている。
「歩き疲れたのだ。眠いのだ」
 最後は、背たけほど長い杖を手にした、ローブ姿の少女。〈捜査騎士団〉のリーダーであるピュグマ。魔術と薬学のスぺシャリストだ。その外見は、ローブこそ身に合わず大きすぎるように見えるが、身体は大人すぎず子どもすぎず、ぼくにとって等身大、という感じだ。だが発言に関しては、どことなく、子どもっぽい部分が目立つ……ような気もする。
 魔術師に獣人族……。
 異世界。
 そんなものが存在するとは、信じてもいなかった。けれどいま、ここでこうして、その世界で仕事をしている。
 ぼく──在間恒一は高校生であり、フリーランスのプロファイラーだった。
 犯人の人物像(プロフィール)を収集整理(ファイリング)し、統計学や行動分析により犯人像を浮き彫りにしていく、犯罪心理分析官だ。
 異世界ソフィアと極秘裏に接触し、技術などを交換し、親交を深めている最中であるという日本政府の任命を受け、ぼくは相棒であり護衛であり保護者でもあるQとともに、半信半疑のまま、異世界へと召喚されてきた。
 ソフィアが真っ先にもとめてきた技術というのが、意外なことに、犯罪捜査であった。対魔獣に焦点をしぼってきたというかの地では、衛兵のほかには、警察機関という概念すら存在しなかった。このたび、犯罪に対処する専門チーム〈捜査騎士団〉を新設するにあたって、ぼくが〈導き手〉に任命されたというわけだ。
 ぼくに白羽の矢が立ったのには、当然、理由がある。異世界には〈魔術〉という技術が存在し、科学捜査が意味をなさない事件も起きうる。そこで、心理学や行動学から犯人を追うことのできる技術──プロファイリングに、目をつけた。いまだ日本ではあまり浸透していない技術であり、候補者は少なく、結果、ぼくが選ばれた。そういうことだ。
 ぼくは、慣れ親しんだ世界、日本という国の自分の部屋に残してきた、マホガニー製のデスクや書棚、ベネチアン・ブラインド、巨大なホワイトボード、額入りの学位記や表彰状を、現実的日常の表象として思いかえした。
 人生はおどろきに満ちている。
 森を抜けた丘の上から、見知らぬ世界を見渡したときの感動を思い出す。
 風景が多彩で変化に富んでいた。湖にかこまれた首都、城塞都市、小さな農村、森や山をつらぬき各都市をむすぶ細い街道、その街道にそって花の咲き乱れる丘陵地帯、川ぞいの湿地帯、遠くに見える雪の積もった山脈地帯……。いまいる広大な森林地帯の裏側に抜けると、臨海都市や荒野もあるという話だ。
 むかしに起きた魔術戦争により、自然界のバランスがくずれたという話だから、気候の変化にも影響をのこしているのかもしれない。
 目の前に広がる世界を、現実を、現在置かれた状況を、俯瞰する。幾度となく、世界を呼吸する。現実感を、肉の内側から満たそうとした。
 異世界への召喚、アレはキツかった。無重力遊泳とジェットコースターが融合したら、あんな感じかもしれない。とにかく、二度と経験したくない。電波ものはあぶないということで、スマートフォンやパソコンを回収されたあたりから、イヤな予感はしていたのだ。惜しみつつ、それなりに高かった電波腕時計をはずしたときのことを思いだす。
 それから、ドロリとした緑色の液体──飲むだけで異文化の言語を習得できるものだったようだが、いくらなんでもマズすぎた。Qは、この飲み心地はバリウムにならぶ、と称していた。
 その後ぼくたちは、国王だというオッサンのまえに連れていかれ、あれやこれや話し、いま、ここにいる。
 異世界、異世界、異世界だ。
 この本部に来るまでの道中、山賊に襲われた。空をドラゴンが飛んでいった。剣と魔法が跋扈し、街の門を出ればモンスターが徘徊する。
 訪問して、たった数時間で、異世界オンパレードだ。
「くっそ、あのエロおやじ。何度思い出しても、ムカムカする」
 ブツブツと怨念を漏らしながら首の骨を鳴らすQの赤毛の髪が、外から差しこむ太陽光を受け、燃えているように見える。ちなみに、あのオヤジとは、あろうことか、国王のことだ。Qは、詳細は伏せるが、国王のセクハラまがいの発言を受け、ブチギレ寸前だった。相手を選ばないその態度は、ある意味、すがすがしい。
 これは、そうとう怒ってるな……。
 声がおそろしく低い。顔がわずかに笑っているのが、よけいに怖い。Qは美人だが、こういうとき浮かべる表情は、男性さえもおそれさせる。それは、日本国内だろうが海外だろうが、地球外だろうが異世界だろうが、おなじことだった。
「Q……そろそろ機嫌なおしてくださいよ」
「これがニコニコしていられるか。あんなブタみたいな顔しやがって、よくも」
「言葉に気をつけてくださいって……相手は国王ですよ」
「それがなんだ、あんなヤツが一国の帝王だってなら、私は一夜の嬢王だ」
「ちょっと意味がわからないです」
「ああああ、怒りがおさまらん。おい、一発なぐらせろ」
「やつあたり! かっこわるいですよ!」
「好きだ。抱かせろ」
「変な流れで口説いてこないでください!」
「ストレス発散なら、殺すか抱くか、二択だろ」
 この人は……。異世界でもキャラがくずれないとは、立派だ。
「そろそろ、ちゃんと話をさせてください」
「いいけど?」
 フランクだな……。
「これからこの世界で仕事を始めますが、なにか気になること、ありますか?」
「んー……」
 Qは首に手をあて、天井をあおいだ。
「文化差について、どう思う?」
 やがて言った。
「こっちの世界で、私らの技術が通用すると思うか?」
「ある種の犯罪行動には、通文化一貫性があります」
 ぼくは答えた。
「そもそも、アメリカやヨーロッパで開発された分析枠組みが日本で通用するわけがない、日本の犯罪の質はそのほかの国とは異なる、というたぐいの批判は、よくなされてきたことです。科学的に犯罪データを用いてパターンを検討した結果、異なる文化上でも、ほぼ応用できることがわかりました。だから、ぼくはこの世界でも、対応は可能と考えます。この世界の人々は、すがたも思考も、基本的にはぼくたちとおなじです」
「たしかに、この世界とそっちの世界は、どうやら似通ってるようなのだ」
 杖を手にした魔術師ピュグマが、長すぎるローブのすそを引きずりながら近づき、会話に参加してきた。
「平行世界と呼べば、わかりやすいのだ。〈魔術〉の有無という大きなちがいがあるけど……たがいに干渉しあっているふしがあって、文化にもそれほど差異がみられないのだ。言葉も、たとえば暦や単位、独特の固有名詞など、かんたんに変換できる程度のちがいしかなかったのだ」
「魔術、ね」
 Qが杖を見た。
「それだけのトンデモ技術があれば、文化に大きなちがいが出そうなものだが」
「魔術でできることは、案外かぎられてるのだ」
 ピュグマは説明した。
「魔術で可能とされてることは、ざっとあげて、炎・冷気・雷などのエネルギーを用いた〈破壊〉、肉体の〈治癒〉行為、魔法の武器〈召喚〉に魔力壁〈展開〉、〈念動〉力、生命〈探知〉、〈通信〉、〈念写〉……。魔術を用いるにはマギクスジェムと呼ばれる魔石の仲介が必要で、魔術師の杖の先端には、かならず埋めこまれてるのだ。魔術は万能ではなく、一種の道具としてあつかうのが現在の一般的な考えかたで──」
「〈通信〉?」
「複数のマギクスジェムを接続し、はなれたところでも通話したり様子を見たりできるようにする魔術なのだ」
「ふうん。携帯電話みたいなものか」
「そっちの世界──魔術がないなら、こういうこともできない?」
 ピュグマが杖から火柱を発生させた。ぼくは呆然と、その火柱を見守った。
「ライターとか使えば、似たようなことはできるよな」
 Qが言った。
「そう考えると、そんな変わらないか。こっちの人間が見れば、きっとアレだって、立派な魔術だろ。魔術は万能ってわけではなさそうだ」
「一種の道具としてあつかうのが現在の一般的な考えかたって話でしたね。プロファイルと一緒だ。あくまで犯罪捜査のうちの有用な道具の一つにすぎない」
「いま担当してる事件の話をしても?」
 ぼくよりすこし背の低いピュグマは、こちらを見上げて訊いた。
「もちろん。お願いします」
 ぼくがうなずくと、ピュグマはこめかみに手を添え、整理する様子を見せてから、口を開いた。
「事件は、首都の周囲にある、いくつかの宿屋や農家で起きたのだ」
「事件現場ですね。ある程度まとまった区域内で起きたということですか」
「現場を見に行くよりさきに、まずは、全体像を話したほうがいいのだ?」
「そうですね。捜査の方針を固めるまえに、各事件の分類をしないと」
「さっさと始めよう。観光にきたわけじゃない」
 Qが言った。口ではそう言いつつも、きっと観光したくてたまらないにちがいないと、ぼくは思う。Qがその男前な性格とは裏腹に、ファンタジー小説やアニメが大・大・大好きだということを、知っていたからだ。
 実際、部屋の奥であぐらをかいている獣人族モクの尻尾がフルフル揺れると、そのたびにQはそれを凝視している。
「Q」
「なんだよ。集中してるさ」
 年上の相棒は、心外だなあと目玉を回した。
「この世界について知ることは、絶対にプロファイリングに役立つ」
「もちろん、それには同意ですけど」
「もきゅ?」
 ぼくたちの視線に気がついたモクが、すばやい身のこなしで、こちらへ近づいてきた。
 モクは、ぼくの手を握ると、いきなり引っ張ってきた。
「わっ?」
 そのままぼくの頭は、彼女の──彼女の胸にはさまれ、顔をペロッと舐められた。ざらざらとした感触だった。おどろき頭をひっこめようとするぼくを見て、彼女は楽しそうに笑っている。どうやら、からかわれているというか、もてあそばれているようだ。
「よし、恒一。そのまま、つかまえていろ」
 いや、つかまっているのは、ぼくなんですが。
 顔を動かしてQを見ると、モクの獣耳にさわって、うなられていた。
「集中するのだー!」
 突然、ピュグマが声を張った。
「まだたったの三人しかいない、できたてほやほやのチームなのだ! 解散させられたらどうするのだ! もっと危機感をもつのだ! 事件の話をするのだ! ち、ちちくりあうのは、ここまでなのだ!」
 顔を赤くし、バンバンとテーブルをたたいている。
「コーイチもコーイチなのだ! 〈導き手〉として来てもらってるのだ! ちっ、ちちくりあうために来てもらったわけではないのだ! たたた、たぶらかさないでもらいたいのだ! 責任感をそなえるのだ!」
 はたして、いまのは、ぼくのせいだろうか……?
「さあ、血なまぐさい話をするのだ! はじめるのだ! 血みどろみどろの話を!」
 ムリにそんな言いかたしなくても……。
「いいかげん、そこから出てくるのだー!」
 言われて、ぼくはいまだモクの胸にはさまれていた自分の頭を、あわててひっこめた。

       *

「死体が、発見しただけでも四つ」
 立ったまま説明を開始するピュグマの言葉に、同じく立ったままのQは顔を上げた。その手には、コーヒーに似た味のするドリンクの入ったカップ。寝覚めに効くだとか心拍数が上昇するだとか、世間的に言われる効能までおなじらしい。ぼくとQは、便宜的に、その飲み物を「コーヒー」と呼称することにした。だが、その色は紫色というブキミなしろものだ。Qは気に入ったらしく、すでに三杯目に入っている。
「四つというのは、あいだを置いて? つまり……一度に四人殺したなら、大量殺人だ」
「ここ二節季のあいだなのだ」
 この世界の単位で、ぼくたちの感覚で言えば、およそ二ヶ月。
 ふん、とQがうなずいた。
「連続殺人か」
「連続しているとはかぎりませんよ。異なるアンサブによる、べつべつの事件かも」
 木イスに座って、ぼくは可能性をあげた。
「あんさぶ?」
 ピュグマが首をかしげた。Qが解説する。
「アンノウン・サブジェクト。氏名や身元が未確定の容疑者の呼称だ。──べつの事件の可能性か。そんな短期間のあいだに、おなじ地域で?」
「短期間というなら、二ヶ月で四人は、数字としては、おおいですよね。おなじアンサブなら、ペースがはやい。連続殺人にしても、冷却期間が短すぎます」
「れーきゃくきかん?」
 ピュグマは、またしても問いを発した。興味津々といったふうに身を乗り出す。今度は、ぼくが説明役を引き受けた。
「連続殺人、というのは、こう定義されます。一人あるいは一グループの犯人が、複数人を殺害。一回の事件で殺害する人物は、ふつう、一~二名程度。その後、冷却期間と呼ばれる、数日から数年の一定の期間が経ってから、ふたたび同様の殺人事件をくりかえす、というパターンがとられます」
「ふんふん」
「これが、殺人のあいだに冷却期間が存在せず、一度に一つの場所で大量の人を殺傷すれば、それは大量殺人という概念になります」
 ぼくは、手もとにくばられた紙をめくった。
「ところで、それぞれの遺体についての詳細はないですか? 検視結果のようなものが、どこにも見当たらないのですが」
 少女たちは、顔を見合わせた。代表してピュグマが答える。
「死体を調べる風習はないのだ」
「風習というか……じゃあ、遺体はいま、どこに?」
 少女たちが、ふたたび、顔を見合わせる。
「魔術によって火葬された」
 われ関せず、といった雰囲気で、これまでいっさい発言してこなかったナズナが、読んでいる本から顔を上げないまま、素っ気ない口調で簡潔に言った。みんなが言いにくかったことを代表して言ったかたちとなったが、本人は気にも留めていない様子だ。
「冗談だろ?」
 Qが指でこめかみを押さえた。
「よく調べもせずに?」
「こういうことに慣れてないのだ……社会自体が」
 ピュグマは頬をかいた。
 こいつはまいったな、といった表情で、Qがぼくを見る。
「魔術で可能な事柄のなかに〈念写〉というのがありましたね? 言葉からの連想でしかないですが……それはつまり、現場や遺体の、ぼくたちがいうところの写真、がのこっているということではないですか?」
 ぼくの問いに、ピュグマがうなずいた。
「そうなのだ。魔術のこと知らないのに、どうしてわかった?」
「わかったわけじゃないですよ」
 ぼくは苦笑した。
「そうじゃないと困る、というだけです」
 ピュグマが進み出て、杖を持ち上げた。真っ白い壁がスクリーンの役目を果たし、スライドのように写真が浮かびあがる。
「〈念写〉魔術を発動すると、杖に埋めこまれたマギクスジェムに、狙った先の光景が記録されるのだ」
 ピュグマは、仕組みを説明した。
 壁には、人の顔が映し出された。金髪の女性だ。
「いちばん最初に起きた事件。被害者の名前は、アリステア」
 ピュグマが流ちょうにつづける。その声に、未熟さは、ない。
「首都を出て街道を西に進んだとこにある、小さな宿屋を経営してた。生前の念写は、知り合いの魔術師が持ってたのを、こっちの杖のマギクスジェムに移したもの」
 つづけて、遺体の写真が映し出された。土の上に横たわり、服はほとんど着ていなかった。全身に傷があり、犯行の痕跡があった。
 写真が切り替わる。全身を写したもの、細部のもの……。
 ピュグマは、軽く目をそらした。のこりの人間は、顔をしかめながらも、見つづけた。抵抗はないのかといぶかしんだが、すぐに思いいたった。この世界では、魔獣との戦いが日常茶飯事だ。血や死体は、ぼくたちの世界の人間よりも見慣れているにちがいない。
「刃物で刺されているな」
 Qが言った。
「めった刺しだ」
「傷口の大きさや状態から見て、得物はダガー」
 ボソッとつぶやいたナズナの観察眼に、Qは感心した様子を見せた。
「わかるのか?」
「そのすべてが致命傷じゃないことも、わかる」
「いたぶってる……?」
 ナズナの言葉に、ピュグマがつぶやく。ぼくはうなずいた。
「でも、防御創がないですね。抵抗できないよう、拘束されていた?」
 細部を見ると、ロープのようなものでしばられたらしきアザが見受けられた。
「犯行中はしばられていたとしても、最初につかまったときは? 突然襲われて抵抗できないまま気を失った……不意打ちか、顔見知りの犯行か……」
「この刺し傷」
 Qが壁に近づいた。
「出血量に差がある。傷のいくつかは、死後のもののようだ」
「どの傷ですか?」
「顔面がとくに多いな。顔の傷のほとんどは、あきらかに、死後につけられている」
「死体への損傷行為、ですか?」
「そのようだな」
「どうしてでしょう」
「なにか隠したいものが被害者のからだにあったか──」
「歯形とか?」
「コーフンして被害者を噛むヤツは多いからな」
「これらの刺し傷……一つ一つが正確な攻撃ですが、どこか感情的な刺しかたです。傷の深さにムラがある。アンサブの性的嗜好かも」
「殺すことそのものより、刺すことを楽しんでいる?」
「ありえます」
「犯罪に不慣れな世界だ」
 Qがアゴに手を添えて言った。
「たしかに、あまり凝った捜査かく乱はおこなわれていないとみて、いいだろうな。歯科記録との照合、なんてのもないわけだし」
「歯形から個人を特定する手法……なるほどなのだ」
 ピュグマが、しきりに感心してみせる。
 ぼくは、写真の一枚一枚を、くまなく観察する。
「顔面もかなり刺されていますが……それこそ識別ができないくらい。歯でないなら、被害者の身元確認はどうやって?」
「腕に古い傷があったのだ。そこから割り出した」
「遺体はどこにあった?」
 Qが問うと、画像が切り替わった。
「宿屋からすこし西に離れた、林のなかなのだ」
「殺害地点ではないな。これは死体遺棄地点だ」
 Qがすぐ言った。ぼくも同意見だ。
「林のなかとはいえ、街道に近い。いたぶるのが目的なら、被害者の口をふさいでいなかった可能性も。だとしたら、悲鳴もかなりのものでしょう。しばってじっくり楽しむには、もうすこし時間のとれる、個人的でプライベートな空間を要したはずです」
「楽しむとか、プライベートとか……あまり愉快ではないのだ」
 ピュグマが、すこし怒った様子で言う。それは、人として当然のことだ。
「ぼくもそう思います。でも、いま重要なのは、犯人の気持ちなんです」
「まわりの土を見ろ」
 Qが指さした。
「すこしも乱れてない。通りがかりに、ただ捨てたらしい。とくべつ、隠すつもりもないようだ」
「単純に、発見まで間を置きたかったんでしょう。検死という技術がない以上、死亡推定時刻は割り出せないわけですし。発見が遅れれば遅れるほど、容疑者は増え、われらがアンサブ自身は、存在を薄めることができます」
「殺害地点ではない……それなら」
 ピュグマの手で、画像がふたたび切り替わる。今度は、屋内のものだ。
「被害者が経営してた宿屋の地下室が、あやしいのだ」
「地下室ですか。うってつけですね。どうして、あやしいと?」
「いくらか血の跡があったとの報告があるのだ。衛兵は、この地下室はただ被害者を連れ去った場所であるという結論にいたっているようなのだ」
「たしかに、襲撃地点にすぎないという可能性もありますが……この空間環境なら、おそらく殺害地点でもあるでしょうね」
「血の量が、あの傷でいくらか、というのはおかしい。もしここが殺害地点だとするなら、拭き取ったことになる」
 Qが指摘する。
「さすがに、殺害地点を隠したいという知恵くらいは、はたらくか」
「そこから遺体を遺棄地点まで移動させていますね。方法は?」
「この現場あたりは農家が多いから」
 ピュグマが言った。
「荷車を押してても、そこまで目立たないのだ。夜間なら人通りもすくない」
「宿屋への侵入経路がわからないな。窓を割った形跡はないし」
「客だったのかも。仮にそうなら、宿屋の一階が、アンサブと被害者の遭遇地点ですね。そして、被害者を言いくるめるか、あとを追うなりして地下に行き、そこで襲撃した」
 Qの疑問に、ぼくは答えた。
「防御創がないから、おそらく被害者は完全に油断していたはずです」
「だとしたら、それなりに頭の回る野郎だぞ、このアンサブは」
「同感です」
 ぼくたちは、それらの検討をいったん打ち切り、二件目の事件にうつった。

       *

「今度は、防御創がありますね。必死に抵抗したようです」
「拘束された形跡はないな。顔に殴られたような傷と……全身は、やはり、めった刺しか。ヤツは、すさまじく怒っているようだな。遺体は着衣のまま、殺害地点で発見、か」
「あの扉の横の壁に見えるのは?」
「……どうやら、犯人の手形だな。血のついた手で触ったから、跡がのこったんだ」
 二件目の現場は、一件目の事件の宿屋からすこし北西にある民家だった。室内はひどく荒らされ、混乱をきわめていた。血が、すべての壁に飛び散っていた。女性の遺体は、床のカーペットの上に、あおむけに倒れていた。長い黒髪が、床の上に広がっている。就寝中だったのか、寝間着姿のようだ。刺し傷だけでなく、腹を切り裂かれていた。すさまじい暴力が、そこにはふるわれていた。
「あのコップは?」
 現場に、赤くよごれた透明なコップが転がっていた。
「……血を飲んだ形跡があったのだ」
 ピュグマが、顔をしかめながら言った。顔色が悪い。無理もないと思う。
「だいじょうぶですか?」
 ぼくの声に、ピュグマはコクコクとうなずきつつ、目をふせてしまった。
 すると、モクが立ち上がり、ピュグマのところへと向かった。彼女の腕をさすり、心配そうにのぞきこんでいる。ピュグマは、だいじょうぶ、と何度かくりかえし言った。
 画像が、血に濡れた刃物へと変わる。ピュグマは顔を上げた。
「現場に、ダガーがのこされてたのだ」
「ダガー、ですか。傷口と形状は一致しました?」
「……ごめんなのだ、調べてない」
「いえ、だいじょうぶです。おそらく、凶器で間違いないでしょう」
 ぼくは、ダガーという言葉から連想される前の事件との関連性ではなく、べつのことを考えていた。
「当てましょうか。そのダガー、被害者の持ちもの──もともと、その家にあったものじゃないですか?」
「……どうしてわかったのだ?」
「統計学。確率論ですよ」
「つまり……どういうことなのだ?」
「アンサブの類型です。またあとで、まとめて説明します」
 ピュグマは、目をパチパチさせた。きれいな目だ、とぼくは思った。
「さっきの事件でもそうだったけど、今度の現場も、とくになにも盗まれてないのだ。こういう事件で、なにも盗まれないって……ヘンなのだ?」
「強盗目的ではありませんから。連続殺人なら、ふつうにありえることですよ」
 言いながら、すこしおそろしくなる。
 ピュグマは、のこる二件についても、かんたんな説明をおこなった。
 のこり二件の遺体はどちらも、ジェーン・ドウズ──身元不詳の女性たち、だった。遺体はほとんど裸の状態で、林のなかと、洞窟に、それぞれ捨てられていた。殺害地点は発見されておらず、どこかで殺され、運ばれたようだった。
 すべての説明が終わると、壁の画像が消え、ピュグマは、ぼくとQを交互に見た。
「なるほど。だいたい、わかりました」
 ぼくは立ちあがった。
「この四件の殺人は、分類すると、二つの事件です」
「二つ?」
「ええ。もっというと、三件と一件ですね。一件目、三件目、四件目は、同一犯による連続殺人と思われます」
「二件目はべつの犯人?」
「そうです。ただし、二件目の殺人犯も、ふたたびだれかを襲う可能性がきわめて強い。こういう犯人は、一度の殺人じゃ満足しません。このさき、連続殺人へと発展するおそれがあります」
「どうして、ちがう犯人なのだ? どっちも、凶器はダガーなのに?」
「まず、被害者のタイプがちがう」
 Qが言った。
「一件目と三・四件目の事件の犯人をアンサブAとしよう。ヤツが狙う被害者には、共通点がある。金髪の女性だ。髪が短いのも似ているだろ。ところが、だ」
 壁に映された被害者の姿に近づく。
「二件目の事件──アンサブBが手にかけた女性は、黒髪で、その長さはほか三件と異なり、やや長い。年齢も上のようだが、それが関係あるかは、まだ判断できない」
「どういうことなのだ?」
「これは犯人の、殺人に関する好みのタイプだ。殺人欲求は、性欲と密接に関係しているからな」
「せ、性欲……?」
 ピュグマが目を白黒させた。
「性欲って、あの──あの性欲?」
「たぶん……想像しているので、合っていますよ」
「男女が好き合ってニャンニョンする……そういう性欲?」
「そうです……」
「それが殺人と結びつくなんて、おかしいのだ!」
 ピュグマがさけんだ。
「性欲はもっと、高尚なのだ!」
 よくわからない論点の主張だった。
「ピュグマ、エロい」
 ナズナがひさかたぶりに口を開き、無表情に言う。
「ナズナだってエロい! あたしは知ってるのだ! ナズナは毎晩──」
「それ以上、なにか言ったら」
 殺気が、部屋のなかに満ち満ちた。
「ぶちこむ」
「なにを、どこに!?」
「ナニを、ピュグマのたいせつな──」
「ひいぃっ! 根暗こわいのだっ!」
 リーダーであるはずのピュグマは、完全に怯え、ちぢこまってしまった。
「ええと、話をもどしますよ?」
 ぼくは、咳ばらいをした。
「とにかく、被害者のタイプがちがうわけです。それにくわえて」
「くわえるってエロい」
「ナズナ! 自慰的発言はやめて、集中するのだ!」
「……くわえて、ですね」
 ナズナとピュグマのやりとりを無視しつつ、ムリヤリつづける。
「これら二種の事件では、そもそも、犯人自身のタイプが異なります」
「……犯人のタイプ?」
 ようやっと落ち着きを取り戻したピュグマの反すうに、ぼくはうなずく。
「アンサブAは〈秩序型反社会的犯罪者〉、アンサブBは〈無秩序型非社会的犯罪者〉です」
「ちつ──なんなのだ?」
「ピュグマ、その単語はエロい」
 さすがに、ぼくもピュグマも、ナズナのセクハラは無視した。そういう会話が好物のQだけ、すこし笑いそうになっていた。案外、そこの二人は気が合うかもしれない。
「〈秩序型反社会的犯罪者〉です。一件目、三件目、四件目の現場の念写を」
 ぼくは、壁の画像をふりかえりつつ、特徴をあげていく。
「計画的犯行、言語的に策略を用いて被害者を誘導、統制され整った犯罪現場、被害者を服従させ拘束具を使用し生きた状態で占有、遺体の移動、衣服のない遺体、証拠や凶器をのこさず持ち去る、状況への適応力、すべて〈秩序型〉による犯行現場の特徴です。アンサブAはこれにあてはまります」
「逆に」
 Qが引き継いだ。
「〈無秩序型〉の兆候をしめす、アンサブBによる犯行現場の特徴を見てみよう。なりゆき的な犯行、乱雑で混沌とした犯罪現場、突発的攻撃、接触から殺害までの短さ、拘束具の不使用、遺体を移動せず隠さず殺害現場にのこす、証拠や凶器ものこす、そして多くの場合、凶器は現場のものを使用する」
「ああ、それで」
 ピュグマが得心したらしく言った。
「あのダガーは現場のものだと推測できたのだ?」
「そういうことです」
 ぼくはうなずいた。
「二件目の犯行現場の念写を見てすぐ、これは〈無秩序型〉によるものだとわかりました。ダガーが落ちていたというのを聞いて、確信が深まったわけです」
 そろそろ本筋に入れと、Qが目でうながした。
「ところで、この世界に黒人や白人のような人種の概念はありますか?」
 ぼくは質問してから、自分たちの世界における概念を説明した。
「あるのだ。けど、その歴史や関係性なら、獣人族のほうがイメージ的に近いかも」
 ピュグマは答えて、言った。
「かつて起きた〈魔術戦争〉が影響をおよぼしたのは、動植物だけじゃない。獣人族は、その魔術エネルギーを受けて、変化した人々なのだ。当時の差別意識は、まだのこってる部分もあるのだ」
 モクが、横でむずかしげな顔をして、ゴロゴロとノドを鳴らした。
「いま質問をしましたが、この世界の文化を、ぼくはすべて把握できているわけじゃない。なにせ付け焼き刃です。プロファイリングは、地域性も重要になる。気になる点があったら、遠慮なく言ってください」
 ぼくは両手を組み合わせて、ブリーフィングを始めた。

       *

「まずは、比較的発見しやすいと思われるアンサブBについて、説明します」
 ぼくに、衆目が集まっていた。
「二十五~二十七歳の人族白人男子。栄養不良で痩せている。住まいはよごれ散らかり、犯行の証拠──血で汚れた服などが、そのまま置いてあったりするかもしれません。兄弟がいるとすれば、彼は年少です。現在、同性とも異性とも付き合いはない。一人暮らしで、家にいることが多く、安定した職には就いていない。なにかしているとしても、短期的なもので、ごく簡単な単純作業の非熟練的職業と思われます。両親くらいはいっしょに住んでいるかもしれませんが、可能性は低い。学校を中退しているかもしれません。あまり知能は高くない。彼は犯行現場である被害者の家の近くに住み、徒歩で往復したでしょう。行動範囲は、常に狭い」
 ぼくは一度言葉をきって、まわりがついてきているか、たしかめた。みんなの視線が集まっている。その目には、あきらかに説明を求める光がある。
「こういう種類の殺人者は、一般的に男で、自分とおなじ人種を狙うということが一つ。このアンサブBは、現場念写と事件記録を見るに、あきらかに〈無秩序型〉です。遺体の状態や血を飲んでいた痕跡から、重い妄想型分裂病をわずらっていると思われます」
 精神的な病気についての知識が、ほとんど差異なく適用できることは、この世界に関する資料から読み取ることができていた。
「殺人を犯すほど病気が進行するまでには、八~十年はかかります。妄想型分裂病は、思春期にたいてい発病しますので、平均的な発病年齢は十五歳。そこに、さきほどの十年をくわえると、犯人は二十代半ばということになります」
「もっと高齢の可能性は?」
 ピュグマの問いに、首をふる。
「こういう殺人者は、三十五歳以下である場合がほとんどです。くわえて、犯人が二十代後半より上なら病気が進行し、これまでに、もっと多くの殺人が起きているであろうことから、年齢は高くても二十七歳程度でしょう」
「やせ型、というのは?」
「彼が妄想型分裂症であるという仮定から、心理学に基づいて導きだしました」
 ぼくは説明した。
「人間の体型と気質に関するクレッチマー分析によると、内向型の精神分裂病は、やせ型の男性に多く見られます。そういった患者は、栄養のことなど気にせず、きちんと食事をとらない。自分の外見についても無頓着で、清潔や身だしなみに注意をはらいません。こういう人物なら、まず独身です」
「愛のちからがあれば、わからないのだ?」
「確率論ですよ。まあ、聞いてください。彼の住居は、犯罪現場とおなじく、混沌とした状態でしょう。これほど病状の進んだ人間なら、学校をつづけることや、安定した職業に就くことは困難であるはず。まるで世捨て人のような人物像だと思われます。また、犯行の前後に遠距離を移動するような秩序だった行動はできず、自分にとっての安全地帯である近所で、衝動的に犯行におよんだはず」
「つまり、アンサブBに関しては──周囲で聞きこみをして言動のおかしな人の目撃情報をさがしたり、近くの民家を確認したり、その地域の学園で過去に中退したような生徒を調べたりすればいいのだ?」
「そのとおりです。彼は、見つけさえすれば、かなり目立つはずです。先ほどのプロファイルを地域の人たちに公表して、思い当たる人物がいないか聞くのも効果的でしょう」
「なるほどなのだ」
「それで、今後の捜査のことですけど……まったくべつの二つの事件が同時に起きている以上、ただ一つの捜査機関であるぼくたちは、二手にわかれる必要性があります。なので──Q。ぼくたち、わかれましょう」
 ぼくが言うと、Qは傷ついた顔をしてみせた。
「ちょっと待て。お前、私のこと、遊びだったのか……?」
「二人はエッチな関係」
 Qの軽口にナズナが過剰反応する。ぼくは頭をかかえた。
「真面目に聞いてください! プロファイリングについて現段階でくわしいのは、ぼくたちだけです。いっしょに動いたのでは、効率が悪い」
「わぁったよ」
「こうするのだ」
 ピュグマが提案した。
「コーイチは、あたしとモクと組んで、より複雑なアンサブAの事件を捜査。ナズナとQの二人でアンサブBの情報を追い、なるはやで解決して、こっちに合流する」
「現場はすぐ見れます?」
「もう夜になるのだ。今日は道中の宿屋に泊まって、明日の朝一で、それぞれの現場に向かうのだ」
「徒歩で行くのか?」とQ。
「馬に乗れる?」
「私も恒一も、乗馬クラブに通ったことはあるが、恒一の成績は……」
 ピュグマが、ふぅん、とおもしろそうにぼくを見た。
 うらめしくQをにらむと、彼女は、どこ吹く風で、そっぽを向き口笛を吹いた。
「──馬車を雇うのだ」
 そう決まり、一同は、準備を開始した。

       *

 星がキレイで、あたりは暗く、静かだった。
 街道を進む途中で、やけに甘くジューシーな香りが、どこからともなく、ただよってきた。喉を刺激し、気分を落ち着かせる、不思議な香りだ。
 馬が鳴き、馬車が止まる。
「これは──、モク?」
 ピュグマが問うように名を呼ぶと、モクがうなずいた。
「馬たちを押さえるのだ。止まらず、進んで」
 ピュグマが御者に呼びかけた。
「なんなんです? このにおい」
 ぼくが問うと、ピュグマがふりむいた。
「このあたりのは、ぜんぶ駆逐したと思ってたのだ。種を見逃してたのかも」
「種?」
「あのにおいは、エモノをおびき寄せるためのもの。このまま街道を進めば、まず安全だと思うのだ」
「エモノって?」
「あたしたち」
 ピュグマは外の森をにらんだ。木が、暗闇と一体化し、ゆれている。
「においのもとをたどって、森に足を踏み入れたら、危険なのだ」
「いったい、なにが……?」
「魔獣の一種なのだ。魔術戦争の影響で突然変異したのは、動物だけじゃないのだ」
「植物にも、魔術エネルギーを受けて変質したものがある」
 ナズナが言った。
「食人花」
「げ、マジかよ」
 Qが気味悪そうに言った。
「山賊に食人花か……恒一、私とお前だけでの外出は、さけたほうが無難だな」
「もちろん、戦って勝てない相手じゃないのだ……けど、ふつうの植物に擬態してるから、タチが悪いのだ。エモノが背を向けた瞬間、口を開ける」
「人間とおなじですね」
 ぼくは、鳥肌の立った腕をさすった。
「今朝の山賊みたいに、悪を服みたいに身にまとってくれていたら、楽ですけど。犯罪者の多くは、ふつうの人間にまぎれようとする」
「それを見つけだすのが、お前の仕事だ」
 Qがニヤリと笑った。
「連中の出す甘い香りから、その痕跡をたどっていくわけだ」
「そのたとえだと、最後、ぼく食べられちゃいますよね」
「ピュグマも言っただろう。戦って勝てない相手じゃない」
「……もう、だいじょうぶそうなのだ」
 ピュグマは、においが遠のいたことを確認し、外から視線をもどした。
「衛兵に報告しておかないと」

       *

 目的の宿屋は、最初の殺害地点より西、三件の死体遺棄地点のすぐ近くにあった。
「警戒をおこたらないようにしよう」
 Qが念押しする。
「親愛なるアンサブは、このあたりにいるかもしれない」
「生命探知の魔術を使うのだ」
 ピュグマが手を上げた。
「だれかが宿屋に接近したら、すぐわかるのだ」
「ただの客でも、毎回、確認はしたほうがいいでしょうね。おねがいします」
「オッケー、なのだ!」
 五人は、それぞれの部屋のカギを受け取り、すぐ部屋に入った。明日は早起きになる。
 ぼくは、荷物を置いてベッドに横になると、目を閉じた。眠るためではなかった。もといた世界をなつかしむためでもない。事件の全体に思考を走らせるためだ。
 だから、だれかが接近してきたことに、ギリギリまで気づかなかった。
 はっと跳ね起きる。声を出そうとして、口を手で押えられた。そのまま、ベッドの上に押さえこまれる。相手のからだの重心がかけられた。
 いつの間にか、部屋の電気が消されている。なかへの侵入を許したうえ、そこまでされても気がつかなかったのだ。
 油断していた──。両手で周囲をまさぐった。武器をさがした。
「じっとしろ」
 低い声。
 奇妙なことに気がついた。相手は、ほとんど裸だった。その肌が、ぼくに重ねられる。
「やっと、二人きりだ」
 そこまで言われて、ようやく相手の正体がわかった。
 口を押さえていた手が離れた瞬間、ぼくはさけんだ。
「Q!」
「だまってろって」
「うぁっ、首を噛まないでください!」
「こっちが好きか」
「耳もダメです!」
「どこなら好きなんだ」
「ベッドから降りてください!」
 全身をまさぐるQの魔の手から逃れようと、あばれる。
「いいじゃないか、いいじゃないか! 私はもう、欲求不満でこわれそうだ!」
「ただのヘンタイじゃないですか!」
 ようやく、ベッドからQを蹴落とすことに成功した。ベッドから落ちたQは、「あぐっ」と声を上げ、しばらく動かなかった。やがて、その肩がふるえはじめた。
「……ひどい」
「どっちがですか! 殺されるかと思ったんですよ、こっちは!」
「お前がカギなんてかけるから、ピッキングまでしたんだぞ」
「ムダなスキルを披露しないでください!」
「愛されてない感が、私をさらに傷つける」
「なに言ってるんですか」
「思春期のくせに私を欲しがらないとか、ロリコン疑惑がハンパねぇな」
「変なプロファイリングはやめてください」
「もう私の身体的な準備は整ってたのに」
「生々しいこと言わないでください」
「ほんとうだ、信じてくれ。触って、たしかめてくれ」
「完全にヘンタイですね!」
「私がヘンタイなのか、ヘンタイが私なのか、どっちだと思う」
「ご自分で結論を出してください」
「あーもう! ……ったく。なんだよ、なんだよ。ちっとはハメを外せよな」
 Qは立ち上がりテーブルまで歩くと、そこに置いていた酒ビンを手にふりかえった。
「ここは異世界だぞ」
「事件捜査のまっただなかでもあります」
「お前は、仕事と結婚するタイプだな」
 Qは、酒ビンを持った手で、ぼくを指す。
「そうやって人生を浪費してくんだ、そうなんだ。結婚もできない。おお、かわいそうに。一生童貞野郎だ、やーいやーい」
「それがQの、ぼくに対するプロファイリングですか」
「保護者としての警告さ」
 ……素直に、心配、と表現できないあたりが、Qらしい。
「もう寝ましょう、Q」
「言われなくても、そうするさ。どこぞのチェリー野郎がチキンだからな」
「悪口はやめてくださいっ」
 Qは、酒ビンをふりながら、部屋を出ていこうと、扉に手をかけた。
「恒一」
「なんですか」
「カギ、かけとけよ」
「Qが開けたんでしょ!」
 酒のにおいと高笑いの残響をのこし、扉は閉まった。



   Act 2


 眠れなかった。
 ぼくは向かっていた小さな机から身をはなすと、伸びをした。
 不眠の原因は、環境の異なる異世界ではなかった。いつもとおなじ。事件が頭からはなれない。こういうときは、気分転換がイチバンだ。
 この宿屋には露天温泉がついていると、管理人が言っていた。
 異世界の温泉か……。
 まだうす暗いが、外の空気に触れるだけで、気持ちをリフレッシュできそうだ。
 ぼくは案内板を頼りに、温泉へと向かった。足首が冷える。
 移動のあいだも、頭のなかには常時、事件のディテールがこびりついていた。ぼうっとしながら、自動的に足を進めていく。
 脱衣所として、小さな小屋が用意されていた。男女それぞれの入り口表示が、簡略化された人間のイラストであるあたり、世界観に共通するものを感じた。
 服を脱いで扉を開けると、湯煙が朝の空気に充満していた。濡れた石の上を裸足で歩き、ゆっくりと湯に下ろす。ちょうどいい湯加減だった。
 ひのき風呂のような、木の洞のような、いかにも森の温泉だ。玄妙な香りが鼻をくすぐる。湯煙をかきわけるように奥へ進みながら身を沈めていく。からだに熱が溶けこんできて、ため息がでた。
 そこでようやく、人影に気づいた。
 朝のあいさつをしようとして、異変に気づいた。
 異変とはすなわち、相手のからだのシルエットだった。
 ぼくは、自分の勘違いに気づいた。脱衣所こそわかれていたが、そこから先は共通──ここは、混浴だったのだ。
 そうとは知らず、からだを隠す用のタオルは岸辺に置いてきてしまった。
 相手は相手で、こんな時間に人がくるとは思ってもいなかったのだろう。あられもないすがたで、目を見開き、立ち尽くしていた。
 両者は、しばらく、見つめ合った。
 さきに動いたのは、彼女だった。
 ピュグマは、すばやく身を湯に沈め、顔を真っ赤にして抗議の表情を浮かべた。
 ぼくはというと、彼女のからだが、その外見的イメージよりはるかに発育していることに、純粋におどろいていた。
「で──」
 ピュグマが口を開いた。
「で?」
「出てけなのだぁあ!」
 直後、湯の弾幕攻撃が、ぼくを襲った。

       *

 宿屋の食堂を借りきって、五人は出発前の最終確認をしていた。
 ぼくは、今朝のピュグマ・ショックを、まだひきずったままだった。それは相手もおなじようで、ほとんど目も合わせてくれない。
 ぼくとQは、メンバーが用意してくれた、この世界で違和感のない服装に着替えていた。まだ着慣れず、全身がごわごわする。服にまとわりつかれているような錯覚をおぼえた。
 朝一の「コーヒー」は、想像以上に脳を活性化させていた。ぼくは結局、ほとんど眠れないまま、朝をむかえていた。よくQがトリップ状態だとからかうが、集中していたら、いつしか時間が飛んでしまうのだ。
「アンサブAについて、もうすこし、くわしく見ておきましょう」
 まだ眠そうに各自コーヒーをすすりつつ、横長いテーブルに座ったメンバーを前に、ぼくは立ち上がり、考えを述べた。
「アンサブAの後半二件の殺人では、殺害地点が発見されていません。おそらく、アンサブAの隠れ家でしょう。絶対的に安全だと思える場所で、一人きりになり、ジャマもなく、じっくりと、ことにおよびたいはずです。
 しかし最初の事件においては、被害者の経営する宿屋の地下室で、殺害行為におよんでいます。地下室の密室性や防音性、立地などを視野に入れて、ヘタに連れ去るより、そのままことにおよぶほうが安全かもしれないと考えたんです。おそらくこれが最初の犯行でしょうから、本来ならあらかじめ定めた方式から外れないのが一般的ですが……変更した。大胆な発想です。臨機応変で柔軟な対応ができる。
 ですが、そのままことにおよぶということは……拷問用具は、持ち歩いていた。この近辺一帯は、アンサブAにとっての安全地帯であると考えて、まずまちがいありません。つまりアンサブAは、このあたりにくわしい、周辺地域の人間です」
 次々と言葉があふれだしてくる。夜通し脳内で組み立てていた考えが、朝陽の差しこむ空間に溶けだしていくのは、気持ちのいい感覚だった。
 ぼくは、両手を動かし、部屋のなかを歩きまわりながら、一気にまくしたてる。これは、いつものクセだった。脳が回転を始めると、つい動きたくなるのだ。思考が、言葉に変換され、発散されていく。
「この連続殺人犯は、〈淫楽型〉と分類できます。犯行現場の秩序性、過剰な殺傷痕、拷問の痕跡、拘束・監禁による支配的行為、遺体の移動、特定のタイプの被害者、拷問道具の持参、時間をかけた殺害行為、遺体損傷……特徴が、キレイに、あてはまります」
 羅列するごとに、右手の甲を左の手のひらに打ちつけた。おどろいたようにこちらを見ているピュグマと目が合う。けれど止まらない。
「また、被害者に抵抗する間もあたえず襲っているらしい点、そしてこの連続殺人犯が〈秩序型〉であることから、〈認知・モノ型〉であることもわかります。このタイプは、犯行のすべてを終始コントロールしています。被害者をだまし、たくみな話術で接近し、拘束し、監禁する。被害者を人間と知りながらもモノのようにあつかい、自分のサディスティックな欲求を被害者で実現、拷問し殺害します。証拠は隠ぺいするので、やっかいな相手です。これが〈媒体型〉なら」
 ぼくは、つばを飲んだ。
「〈媒体型〉だったなら、被害者の傷口は、一撃一撃がもっと感情的なものになっていたはずです。犯行の実行中、自分の行動をコントロールできなくなるためです。被害者を人間としてあつかいますので、その顔を見ることを避けるために目隠しをします。見られないためでなく、見ないために目隠しするんです」
「恒一」
 Qが口をはさんだ。
「大学の授業や講演じゃないんだ。理論より、実際的なアドバイスをしてやれ。どういう人物を見つければいいのか。どこを捜査すればいいのか。この広い世界から犯人をさがすために、どう、しぼりこむのか」
「あ」
 ぼくは赤くなった。
「すみません。夢中になってました」
「いや、うん。興味深かったから、だいじょうぶなのだ」
 ピュグマが言うと、モクも横でうなずいていた。
「アンサブBに関しては、昨日言ったとおりです。アンサブAについてつづけますが」
 ぼくはテーブルに手をついた。
「まず、見つけだすのはアンサブBにくらべて、非常に困難な作業になると思ってください。知的水準は平均的かそれ以上。彼は目立たず、周囲に溶けこむことのできる人物です。魅力ある人間で、女性から見ても非常に男性的です。社会性があり、まわりの人間は、だれも彼をあやしまず、よほどの接触がないかぎり、記憶にもとどめないでしょう」
「罪を犯しそうにない人物?」
「彼を知る人間は、もし彼がぼくたちに逮捕されたら、みんなおどろくでしょうね。結婚して、子どもがいる可能性すらあります」
「ほかには?」
「彼は〈秩序型〉です。便宜的に、彼、と呼びましたが、こういう連続殺人者は、その九十パーセント以上が男性です。このタイプは、知恵がまわり、犯行に自分が関与した痕跡を隠そうとするので、やっかいです。細かいプロファイルは、各現場を見て、また話しますが──事件の起きた地域一帯の地図はありますか」
 モクが丸めた地図を借りてきて、テーブルの上に広げた。
 ぼくは、Qの荷物からピンを借りて、地図の上に印をつけていった。アンサブAによる事件の、三つの死体遺棄地点と、最初の事件の殺害地点である。
「ぼくがしようとしているのは、地理的プロファイリングという技術です」
「犯行の基点、アンカー・ポイントを探してんだろ?」
 Qが先をうながした。
「そうです。連続して犯行をかさねると、犯人は意図せずして、決まった行動パターンを獲得してしまいます。彼らは安全圏を確保するため土地勘がある地域をえらび、それらは切り分けたピザのような──ピザってわかりますか?」
 ぼくは、目の前のテーブルに出されていた、ホットケーキに似た朝食を引き寄せた。ナイフを入れ、ひとかけらを切り分けて見せる。
「犯人の行動範囲は、つまりこういう、くさび形をしているのが定説です。データによると、八十パーセントの犯罪者が、このかたちの地域内で犯行におよび、さらにそのうちの五十パーセントが、このくさび形の先端部分を基点にしているんです」
 そして、とぼくは続ける。
「犯人にとって、最初の事件というのは、もっとも不慣れな時期の犯行です。犯罪者は、犯行をかさねるたび、学習し、熟練し、自信をつけます。初期の犯行のほうが、犯人の安全圏に──住居や職場に近いことが多い。その後の数件は、どんどん遠出をするようになるでしょう」
 見てのとおり、とぼくは地図の上に指をなぞらせる。
「一件目の死体遺棄地点は首都の少し西ですが、二件目と三件目は、それよりも西に流れています。一件目の殺害地点は、もっとも首都寄りにある。アンサブAは、首都に住んでいる可能性が高いですね」
 ぼくは地図上に、おおまかなくさび形を描いた。首都周辺を基点として、西に向けて広げる。その扇の部分を延長し、首都のまわりを円で囲った。
「犯人の行動範囲の、ざっくりとした予想です。これまでどおり、くさび形の範囲内で次の犯行におよぶ可能性と、ここでパターンを変えて、首都の別方位側に進出する可能性もあります。その両方で土地勘を持っていることは、ありえますか?」
「じゅうぶん、ありえるのだ」
「なら、別方位のほうがわずかに可能性が高いですね。方向転換するとすれば、殺人の場合、九十~百二十度の変化が多数です。どちらにせよ、この円のなかです。そしておそらく、よほどエスカレートしないかぎり、犯人の居住区域であると思われる首都内では、犯行をおこなわないでしょう。ですから」
 大きな円のなかに、首都を囲うような円を描き足す。
「次なる犯行が起きるとすれば、このドーナツ状の円環内ですね。……ドーナツはわかります?」
「まだ、犯行はつづくってことなのだ?」
 ピュグマが腕組みし、きびしい顔で問う。ぼくは、「残念ながら」とうなずいた。
「犯行の間隔──冷却期間が、どんどん、せばまってきています」
「手口も、残忍になっているな。最初の被害者より、あとの二人のほうが、ひどい殺されかたをしている。歯止めがきかなくなってきているんだ。いきおいづいている、と言ってもいい」
 Qが言い添える。
「ええ。いつ、次の殺人が起きてもおかしくないですね」
「いちおう、警戒は呼びかけてるのだ」
「つかまえないと、安心できませんね。もちろん、アンサブBも同様です」
「さっそく現場に行くのだ」
 ピュグマは立ち上がった。
「組分けは、昨日のとおり。通信魔術で、連絡を取り合うのだ」
 ピュグマが、マギクスジェムを一つ、ナズナにわたした。その石は、ピュグマの杖の石と接続できるよう、すでに調整ずみだった。
「ムチャはするなよ」
 Qが、いつになく真顔で言うので、ぼくは笑った。
「そっちのほうが、ずっと心配ですよ」

       *

 ぼくとピュグマ、それにモクは、最初の事件の殺害地点である、宿屋にきていた。
「夕方、泊まりに来た客が、カウンターにだれもいなくて、困惑したらしいのだ」
 ピュグマが、聞きこみした結果を報告した。
「その日の朝には、数人の客がチェックアウトしてるから……」
「事件が起きたのは、昼のあいだ」
 ぼくは、宿屋の入り口から、一歩、外に出た。
「街道からわずかに奥に入ったところにあります。昼間に泊まりにくる人間も、そうそういないでしょうから、逆に、犯罪の起きやすい時間帯ですね」
「実際、昼のあいだは、宿屋は閉まってるのだ」
「それなのに、押し入るわけでもなく、アンサブAはあやしまれずに、なかに入った」
 ぼくは、宿屋のなかにもどり、地下室への扉を開けた。
 ポケットから小型の懐中電灯をとりだし、先を照らす。あとで補給してもらえるとはいえ、手持ちの電池をもっと持ってきておくべきだった、となんとなく考えた。
 下まで降りて、明かりをつける。懐中電灯をしまいつつ、階段を数歩、もどった。
「どうしたのだ?」
 しゃがみこんだぼくに、ピュグマが問いかけてくる。
「滴下血痕ですね」
「血?」
「はい。このすみのところに。暗くて、拭きわすれたみたいです。カタチが丸い。血が、まっすぐに落ちたせいですよ。つまり、ここで被害者は立ち止まったところを襲われた。このホコリの形跡からして……ふりむこうとした? 呼び止められたのかもしれません。おどろいた様子はない。被害者が逃げまどったり、あばれたりしたなら、血痕はいびつなカタチになるはずです。防御創がないこととも矛盾しませんね」
「ふむふむなのだ」
「アンサブAが背後に立ち、声をかけても、被害者はおどろかなかった。被害者は、アンサブAが後ろにいると知りながら、背を向けて、暗い地下室に下りようとしていたということになります」
 ぼくたちは、地下室を見わたした。棚がいくつかあるだけの、簡単な部屋だった。
 ピュグマがなにごとか唱え、杖をかざした。すると、先端のマギクスジェムから青白い光が広がり、地下室内を照らした。その光は、壁や床に付着した、おびただしい量の染みを浮かび上がらせた。
「血、なのだ」
「魔術で探知したんですか?」
「わざわざ拭き取っているのに、魔術探知への対策はしていないのだ」
「アンサブAには魔術の心得がない、ということですか?」
「その可能性はあるのだ」
 そのとき、モクが、なにかに反応した。
「モク、どうしたのだ?」
 ピュグマが問いかけると、モクは身ぶりでなにか訴えた。
「……よくないにおいがするそうなのだ」
「よくない、におい?」
 モクが歩き、棚を調べはじめた。やがてそのなかから、フタが開いたビンを見つけだした。なかには、白くうすい小さなものが一枚、入っていた。
「これは──」
 ピュグマが真剣な顔になり、ビンのなかから、それをとりだした。
「花びら?」
 ぼくがよく見ようとすると、ピュグマが制した。
「におってはダメなのだ」
 ビンにもどし、フタをする。
「これは、ペペという花なのだ。花びらだけ落ちて、回収しわすれたのかも」
「ペペ?」
「昨夜の食人花──アレの一部なのだ」
「これ一枚だけで、判別できるんですか?」
「あたしをだれだと思っているのだ。魔術と薬学に関して言えば、あたしは天才なのだ。右に出るものはいないのだ」
 ピュグマは、意外と大きな胸を張って見せた。どうしても、今朝の温泉での光景を思い出してしまう。ぼくは気づかれぬよう、視線を逃した。
「この花は、幻覚作用をもつのだ」
「麻薬みたいなものですか」
「違法なのだ」
「……そんなものが、どうして宿屋の地下に?」
「被害者のアリステアには、裏稼業があったのかもなのだ」
「麻薬の売買ですか……」
 ぼくはアゴに手を当てた。
「被害者は買った側でなく売る側だったと、ピュグマさんは考えているんですか?」
「宿屋の経営は、あまり儲からないのだ。このような地域だと、とくに。だからペペを買う金があるとは思えないのだ。むしろ、宿屋という職を利用して、いろいろな客にペペを売って稼いでいると考えたほうが、自然なのだ」
「すごいですね。立派なプロファイリングだ」
 ぼくが言うと、ピュグマは照れたのか、頬を赤くした。
「被害者学に基づく分析を、検討しなおしてみるべきかもしれません。なぜ被害者がターゲットとして選ばれたのか」
「麻薬がらみ?」
「そういう犯罪は多い。ありえます」
 ぼくは、新しく浮かび上がった選択肢を吟味した。
「アンサブAは、常連客だった……?」
「だから、昼に訪問してもアリステアは不審に思わず、自分から地下に案内もした?」
「彼は社交性のある魅力的な人物でしょうから、何度か顔を合わせ、被害者も気を許していた……。スジは通っていますね」
 ぼくは方向性を見つけたと確信した。
「問題は、どうして殺すという行動にいたったか、です。ほかの二人の被害者も、ペペをあつかっていたのかどうか、知る必要があります。まだ、身元は不明なんですか?」
「ここより北東に住んでた、マリアンという女性が行方不明になってるそうなのだ。二体目の遺体にあったアザが、特徴として一致してるとのことなのだ。けど、服はほとんど着ていなかったし、顔が……ああいう状態だから……ハッキリとは」
「その女性の家に行ってみましょう」
 ぼくは、歩きだした。
「地下室があるかもしれません」

       *

 マリアンの家には、彼女の夫であるクルスがいた。弱りきった様子で、ソファに腰を落としている。
「彼女なのか?」
 もじゃもじゃのヒゲを涙で濡らし、クルスはたずねた。
「見つかったって死体、それが、そうなのか?」
「まだわからないのだ」
 ピュグマは正直に答えた。
「その死体の念写、あるんだろ? 見せてくれ」
「失礼ながら……」
 ピュグマが言葉をえらぶ。
「念写を見ても、特定はむずかしいと思うのだ。死体の状態が、その……。どちらにせよ、記憶のなかの彼女を、大切にしてあげるべきなのだ」
「くそ、どうしてこんなことに……」
「奥さんの念写はありませんか?」
 ぼくは訊いた。
「一枚だけ……」
 ピュグマが杖を伸ばし、クルスの持つ石から、念写を受け取った。魔術師に撮影してもらったという、二人いっしょの念写が浮かび上がる。マギクスジェムの劣化で、画像はモノクロだった。二人とも、とても幸福そうだ。石のなかで止まった時間。そこからだけでも、じゅうぶん、その事実が伝わってくる。
「それしか、ないんだ。彼女は、アレが嫌いでね」
「お仕事は、なにを?」
「妻の?」
「いえ。あなたの」
 クルスは、しばらく、きょとんとしていた。
「どうして? 何の関係がある?」
「捜査の一環です」
「時間の浪費だ! そんなことより、犯人をさがしてくれ!」
 クルスが立ち上がった。ぼくは向かいに座ったまま、動じない。
「もちろんです。ですが、ささいなことが、真実究明に役立つかもしれません。すこしのあいだだけ、ご協力おねがいできませんか。ほんとうに、すぐにすみます」
「……運搬作業だよ」
 クルスは、ソファに座りなおした。
「失礼ですが、あまり賃金は高くない?」
「関係あるか?」
「ええ。マリアンさんの生活について、知りたいんです」
「……たしかに」
 クルスは、小さく言った。
「あまり、いい仕事とは言えない」
「それにしては」
 ぼくは部屋を見まわした。
「なかなか、いい家に住んでおられるようです。なにか副業でも?」
「いったい──」
「答えてください。奥さんが犯罪に巻きこまれたとするなら、そのきっかけとなってしまうような環境が周囲にないかどうか、知りたいだけなんです」
「妻がむかし」
 クルスは額をこすった。
「絵を描いてたんだ。それが、たまたま、いい値段で売れた」
 ぼくは、しばらくクルスの顔を見つめた。
「絵、ですか」
「そう。絵……だ」
「それは、奥さんに感謝しなければいけませんね」
「ああ」
 ぼくは確信をいだいていた。
 さきほど、妻の絵の話をするさいに、クルスは額をこすった。だからぼくには、クルスがウソをついているとわかった。
 アレは、なにかに苦しんだり、不快を感じたりしているサインだ。
 ぼくの質問を不快に感じているのとは、またべつだ。そっちの感情はいらだちに近く、そのサインは、イスの下で両足首を組んで固定していることなど、下半身に出ている。
 手や顔など、上半身の反応が出たのは、妻の絵の話のときだけだ。額をこすりつつ、手で顔を隠す。罪悪感をいだきつつも、ウソをついている、身体的な証拠だ。
「奥さんの部屋を見せてもらっても?」
「妻の部屋は」
 クルスは、またしても額をこすった。
「ない」
「ない? この家の、どこにもないんですか?」
「ああ。ない」
 今度は、反応が出なかった。
「この家には、地下室や屋根裏もありませんよね」
「ないな」
「奥さんのパーソナルスペースは、いっさい、ないということですか?」
「夫婦に、そういうのが必要とは思わない」
 いまや、クルスははっきりと、手のひら同士をこすりあわせていた。不安や緊張をなだめようとしている。
「この家は、夫婦の愛のあかしなんだ。この場所では、彼女は隠しごとなんてしない」
「では?」
「なんだって?」
「この場所では、と言いましたよ」
「この場所で、の聞きまちがいじゃないのか」
「そもそもぼくは、奥さんの部屋があるかどうかを訊いたんです。隠しごとがあるかどうかを、訊いたわけじゃありません」
「……なんなんだ」
 クルスは、両手で頭をかかえこんでしまった。
「あんた、なにを言ってるんだ」
「クルスさん」
 ぼくは、身を乗り出した。
「奥さんは、あなたに隠しごとをしているんですね。それは、どういうわけか羽振りのいい、彼女の財政に関係があることなんですね。そして彼女がそのなにかを、この家の外に用意された隠れ家のようなところでしていると、つきとめたんですね」
 クルスの肩がふるえた。彼は泣いていた。
「あんたは、知ってるんだな」
 涙声で、両の手の下から、彼は言った。
「あんたは、ぜんぶ、知ってるんだ」
「ええ。知っています」
 ぼくは、なるべく、優しく言った。
「奥さんは、ペペを売りさばいていた」
「知らなかったんだ」
 クルスは言った。
「最初は、浮気を疑った。けど、彼女が次々に隠れ家へと招き入れる人間のタイプを見ていて、わかったんだ。あれは……浮気では、ないと」
「クルスさん」
 ぼくは呼びかけた。
「せめて、真実を知りたいでしょう。隠れ家の場所を教えてください」
「愛してた」
「わかっています」
「ぼくは愛してたんだ!」
 クルスは顔を上げた。はじめて、まっすぐとぼくを見た。
「野郎をつかまえてくれるのか」
 クルスは、ぼくから目をそらさない。ぼくもまた、それに応えた。
「妻を殺した、くそったれ野郎を、つかまえてくれるか」
「かならず」
 ぼくの言葉に、クルスはもう一度、嗚咽を漏らした。

       *

 マリアンの隠れ家は、彼女の家より西に進んだ、林のなかにあった。
「こんなところ、泥棒に入られでもしたらどうするのだ?」
「その危険を冒してでも、だれかに見られたくなかったんですよ」
 ぼくは家の外観を観察した。
「おそらく、クルスさんに知られたくなかったんでしょう。さっき、念写を見せてもらいましたよね。そこに写った彼女の笑顔は、とても自然でした。彼女もまた、クルスさんを愛していたと思います。もしかすると、彼をささえるために稼いでいたのかもしれません」
 ぼくたちは、扉の前に立った。
「警戒してください。犯人が現場に戻ってくることもありますし、ただでさえ、ペペの売買がおこなわれていた可能性の高い場所です」
 モクが、弓を背中から下ろした。
「生命探知してみたけど、なかに人はいないのだ」
「わかりました。入りましょう」
 ぼくは、玄関を開けた。カギは、かかっていなかった。足を踏み入れる。
「モクさん、どうですか?」
 ぼくの質問の意味を、モクはすぐ理解してくれた。弓のかまえをとき、ペペのにおいをさがして、あたりを見まわす。やがて、からだの向きを定めると、ゆっくり歩きだした。ぼくもピュグマも、彼女についていく。彼女は、廊下の一番奥へと向かった。
「マリアンは、魔術の心得があったみたいなのだ」
 通りすぎるいくつかの部屋をのぞきこみ、ピュグマが言った。
「専門的な魔術書がたくさんあるのだ。これも、住居にはなかった要素なのだ」
「それすら、クルスさんには隠していたんですね」
 かなしい関係だ、とぼくは思った。
 それがたとえ、おたがいに対する愛ゆえであったとしても。
「おそらく自衛のためでしょう。そういった心得でもなければ、人里はなれたこんな場所で、薬を売る勇気なんて出ないはずです」
 ふと、ピュグマが足を止め、一つの部屋に入った。
「マギクスジェムがあるのだ。これは念写用の──」
 彼女が触れると、石から光が放たれ、壁に女性のカラーの画像が浮かんだ。
「これが……マリアン?」
 ピュグマのつぶやきは、しごく、もっともだった。
 その女性は、赤毛だった。髪の長さも、遺体のものより、ずっと長い。
「この念写がマリアン自身のものとはかぎりませんが……」
 しかし、カンが告げていた。これは、彼女だ。体格などは、かなり遺体と似ている。腕の長さや脚の長さ、指の細さ、首と頭のバランス……。だとすれば。
「あとで、クルスさんに確認してもらいましょう」
 マギクスジェムを手に、部屋を出る。
 奥に進みながら、考える。
 可能性──遺体の髪は、死後、あるいは殺害以前に、カットされ、染められた。おそらくは、犯人の手で。もしそうだとすれば、新たな情報だ。検死という技術が存在しさえすれば、すぐにわかっていたはずのことだった。
 あの念写がマリアンで、あの遺体もマリアンなら……。アンサブAは、身体的特徴で被害者を選んだのではなく、べつの基準で選んだ被害者を、とある身体的特徴に近づけたということになる。べつの基準とは、もちろんペペの売人という点だろう。
 これは、あきらかに署名的行動だ。犯行の実行そのものに本来必要ではない、特異なパターン。犯行のたびにくりかえされる、一種の儀式的行動……。
 モクが奥の扉に到達し、そっと押し開けた。ワナがしかけてないか、確認する動作だった。それは、もっともなことだと思った。ここには、マリアンがかかわっている犯罪の証拠があるのだから。
 開いた扉の向こうに、いくつかの棚と、そこにならぶビンが見えた。
 モクは、さらに奥へ進もうと──。
「待つのだ!」
 ピュグマがさけんだ。
「ワナがしかけてあるのだ!」
 ワナ。たしかに、ピュグマはそう言った。その声には、焦りが満ちている。
 しかけ。それがないことは、モクが確認したはず──。
 ──魔術の心得──専門的な魔術書──自衛のため──。
 ぼくにもピンときた。
「魔術のワナが張ってあるのだ!」
 モクがすばやく方向転換した。そのまま、ぼくのからだをかかえ上げた。おどろいているヒマもなかった。モクは、ピュグマのもとへと、ぼくのからだごと飛びこんだ。
 激しい爆発音が響いた。
 ぼくは、なんとか目を開けた。
 すさまじい爆発が起こっていた。炎が、ぼくたちのいる空間の周囲をなめまわしていく。
 モクとぼくが身を伏せている、その頭上で──。
 ピュグマが杖をかかげて立っていた。
 魔力壁を展開しているのだ、とおぼえたての知識のなかで理解した。マリアンの念写の入ったマギクスジェムを落とさぬよう、しっかりとにぎりしめた。
 爆発は幾度となく起こり、それが長いあいだ、つづいた。
 この家を、もしもマリアンの夫であるクルスが調べていたら?
 ぼくは思った。
 その可能性は、じゅうぶんにあった。実際、その一歩手前であったとも言える。こういうワナを張ることに頭のまわる人物が、その可能性を考慮しないなどということが、ありうるだろうか? 愛する夫を殺してしまうという可能性を?
「──そうか」
 ぼくは、静かに理解した。
 ……知られるくらいなら、死んでもらったほうがいい。
 それが、彼女の愛だったのだ。
 彼女の秘密を燃やし尽くす爆発は、いつまでも、いつまでも、つづいた。

       *

「無事なのか! 無事ならイエス! そうでないならノーだ!」
「無事です、無事ですって」
「イエスかノーで答えろ!」
「そこはべつに、こだわらなくてもいいでしょう!」
「私を愛しているか!?」
「はいはい、愛してます愛してます」
「ほら! な? イエスかノーで答えないのは、はぐらかしたり、テキトーにあしらおうとしている証拠だ! だからイエスかノーで答えろって言ってんだバカヤロー!」
 ピュグマの杖についたマギクスジェムの向こうで、Qががなりたてていた。状況を報告するやいなや、こういう状態になってしまったのだ。
 モクとピュグマのおかげで、ケガ一つしなかったということを納得させるのに、かなりの時間を要した。
「そっちは? Q。どうなっています?」
「空飛ぶ鳥のバケモノが襲ってきて、弾丸を何発か浪費しちまったが、問題ない」
「あれは無害な鳥なのに」
 Qの背後で、こちらに聞こえるようにつぶやくナズナの声が聞こえた。
「あんなのは鳥じゃない。私らの世界じゃバケモノと呼ぶんだ」
 Qがナズナに言いかえしている。
「鳥はあんな声で鳴かないし、火を吐いたりしないんだ」
「Qー? 報告をおねがいしますよ」
「恒一なんか、でっかい鳥に喰われちまえ」
 ごまかすように悪態をつくQの報告によると、アンサブBがシヅヤという男であるらしいと特定するところまで捜査は進展していたが、その男がどこにもおらず、現在捜索中であるとのことだった。
 通信を切ると、ぼくは、次にするべきことを考えた。
 あの家で見つけた念写がマリアンのものであることは、すでに確認した。そして、髪の色も髪型も、あの念写のままであったことも。
 つまり彼女は、犯人の手で髪を切られ、染められたことになる。
 どうしてそんなことを? おそらく、理想の被害者とするためだろう。人形化か? 愛玩するため? 興奮するため? コレクター? むかしに関係があった女性の代わり?
 知人女性の身代わり。妻か、母か、想い人か。それがいちばん、しっくりくる。
「客をさがしましょう」
 ぼくは、ピュグマとモクに言った。
「アリステアとマリアンの両方からペペを買っていた人間──それも、常連です。そのなかに、犯人がいる可能性は、状況からしても高い。ペペを買おうなんていう、はじめての客に、気を許して背中を向けることはないと思いますから」
「きっと、たくさんいるのだ」
「短い金髪の女性が身のまわりにいないかを、しぼりこむ基準にします」
「そもそも、客なんて、どうやってさがすのだ?」
 ピュグマは困ったように言った。
「あんな花を買っているなんて公言する人間はいないのだ」
「この世界では、ペペの所持や使用は罪なんですよね? 逮捕されることは?」
「あるのだ。衛兵が、見つければ逮捕するのだ」
「逮捕されたことのある人間を当たりましょう。なにか知っているかもしれませんし」

       *

 ぼくたちはすぐ、首都近くの衛兵詰所へと向かった。
 この世界では、やはり規律がゆるい、とぼくは思った。衛兵は、すんなりと、逮捕者の記録を見せてくれた。それぞれの住居も記入してあるが、はたして、いまもおなじところに住んでいる人間が、何人いることか。
「コーイチ」
 記録を読んでいたピュグマが声を上げた。
「これ、見るのだ」
 ぼくは、横から記録をのぞきこんだ。
「ここ、ここなのだ」
 ピュグマが指さす名前を見る。
 全身に、電流が走ったようだった。
「どうしてここに、この名前があるのだ?」
「……いや」
 すこしも、おかしなことではなかった。
 幻覚作用をもつ花──ペペの所持と使用による逮捕者の一覧。
 そこには、シヅヤ、という名前がつづられていた。
 QたちがアンサブBの正体であるとして捜索している男の名だ。
 どうして、いままで思いいたらなかったのか、とぼくは自分を恥じた。
 薬物乱用は、〈無秩序型〉の犯人に多い特徴の一つだ。
 待て、とぼくはさらに思考を進めた。
 地理的プロファイリングからして、アンサブB=シヅヤという男は、この近辺に住んでいる可能性が高い。だとすると、ペペを常用するうえで、この地域一帯でペペを売っていた女性、アリステアとマリアン、そしておそらくは、もう一人のジェーン・ドウ(身元不詳の女性)……アンサブAの手にかかった被害者三人のだれかからペペを購入していたとしても、なんら不思議はない。
 思わぬ接点の発見に、ぼくはわずかに混乱した。
「二つの事件は、関係ない?」
 ピュグマの問いに、ぼくはゆるゆると首をふった。
「事件を起こした人間は──殺人者は、ぜったいにべつです。だけど、その背景は共通しているのかもしれない。なにか、関係があるのかもしれない。そもそも、おなじ地域で、二つも殺人が同時に起こるというのが、まず異例なんです。それは、確率的にも、ほとんどありえないことです。ぼくは、世界が異なればそういうこともありえるのだろうと、あえて見過ごしてしまっていました。けれど、これは……」
 ピュグマの杖が振動した。
「向こうのチームからなのだ」
 ピュグマが言って、杖で地面をとんとたたいた。
「もしもし?」
「……やられた」
 Qの声が聞こえてきた。
「新たな死体だよ」

       *

 ぼくたちは、Q・ナズナの組と、現場の家で合流していた。
 目の前には、見るも無残な死体があった。
「これは、アンサブBの事件だな」
「ですね。〈無秩序型〉の犯行です。コップで血を飲んだ跡もある」
 ぼくは、Qに同意した。
「凶器は、またしても現場にもともとあったダガーですね。現場にあったものを凶器として使用するのは、〈無秩序型〉の特徴ですが……」
 違和感をおぼえる。
「ダガーばかりを使うのは、強迫観念的要因でしょうか。なにか、こだわりがあるのかもしれません。この場合、犯人はおそらく、自分のなかの妄想に従って行動していますから、その行動に理屈を見つけることは、おそらくできないでしょうが」
「恒一」
 Qは死体のそばにかがみこんだ。
「気づいてるか?」
「はい」
 Qと同意見であることを、ぼくは認めた。
「この死体……腐敗の状態から見て、かなり古い。おそらく、前の事件と同時期か、それよりも、さらに前に起きていますね。これまで、発見されなかったなんて」
「シヅヤの目撃情報で、この一帯にたどり着いたんだ。一軒一軒まわっていて、この家の庭が、しばらく手入れされていないことに気づいた。ためしに玄関を調べると、カギまで開いていた。それでなかを調べると、この状況が待っていた」
「こうなってくると、犠牲者はほかにもいるかもしれませんね」
「ありうるな」
「シヅヤの行方は?」
「まだつかめない。目撃情報も、行き止まりにぶちあたっちまった」
「もう遅くなるのだ」
 ピュグマが歩いてきて、言った。
「この現場は、衛兵に保存してもらう。監視もさせるのだ」
「もし事件を聞きつけて野次馬が発生するようなら、その人たちを念写するよう、おねがいしておいてください」
「どうしてだ?」
 Qが問う。
「〈無秩序型〉の犯人は、殺人の快感を追体験するために人知れず現場にもどってくることはあっても、野次馬として現場にもどってきたり、ましてや捜査の進展に興味をしめしたりはしないぞ?」
「ええ、もちろん、そう思います。ぼくが気にしているのは、アンサブAがこの現場を見にくる可能性です」
「アンサブAが? どういうことだ?」
「わかりません。しかし、この二種類の事件には、どこか相互作用があるように思えるんです。まったく無関係とは思えない」
「衛兵に念押ししておくのだ」
 ピュグマが言った。
「遺体も調べるよう、依頼するのだ。最低限必要なことは、さっきQに聞いた」
 ぼくたちは、腐臭ただよう家をあとにし、拠点としている宿へともどることにした。

       *

 一同は、宿屋で各自、休養をとるため解散した。
「…………」
 ぼくの部屋には、性懲りもなく、Qがしのびこんできていた。
「お前が爆発に巻きこまれたと聞いたとき」
 Qはぼくの胸の上で指先をおどらせながら言った。
「私の心臓は、もうダメになるかと思った」
「いっそダメになればよかったんです!」
 ぼくはさけんで、はね起きた。
「なにを、あたかも事後、みたいな雰囲気、作りだしているんですか!」
「寝てろよ。勝手につづけるから」
 今日は、服こそ着ていたが、その言動はあいかわらずだ。
「つづけられてたまりますか。ものっすごい、くすぐったいですし!」
「よろこぶなって」
「これがよろこんでいるように見えるなら、そうとうですね!」
「静かにしろよ。みんなに聞かれるだろ?」
「こまりません!」
「ヘンなウワサたっちまうじゃんか。職場恋愛とか言われた日にゃ」
「妄想が進みすぎです!」
「それが理由で、恒一から結婚を申しこまれたりしちゃったら」
「妄想のペースはやすぎます!」
「うるさいなぁ」
「Qのせいでしょ!」
 ぼくは頭をかかえた。
 そもそも。この宿屋は一つ一つの部屋が、それぞれコテージのように建物自体わかれているタイプであり、その間隔もわりと離れているため、ちょっとやそっとの声が、そこまで聞こえるとは思えなかった。
「なんだよ、だまりこんで。相手しろよ。私の相手をしろ。おーい」
「休ませてくださいよ……」
「なに言ってやがる。寝もせずに、事件について考える気まんまんだったくせに」
 Qは、ぜんぶお見とおしだ、という表情を浮かべて言った。
「私だって、そのくらいのプロファイリングはできるぞ。お前は今日、この日この夜、休む気なんてモートーなかった」
「……大正解の賞品でもほしいですか?」
「皮肉はよせ」
 Qはぼくの横に座り、ぐっと顔を近づけてきた。
 そして、言った。
「私にキスしろ」
「はあ?」
「大正解の賞品がほしい」
「アレは皮肉です!」
「さっさとしろ。私だって、こわいんだ」
「なんでですか! ファーストキスでもないでしょうに!」
「どうして言いきれる!」
「だってそうでしょ!?」
「傷ついたな! あー、乙女心が傷ついたな! そりゃあ傷ついたさ!」
「だいたい、どうしてキスしなきゃならないんですか」
「ぐっすり眠れる、大人の魔法だ」
「そういうのいいですから!」
「ほんとうだって。こないだ読んだ本に書いてあったんだ」
「どういう本を読んでいるんですか」
「そら、ためすぞ。準備はいいか?」
「ためしませんって! ムダに探究心を燃やさないでください!」
「んだよ、ケチ」
「ケチとはなんですか!」
「ケチはケチだ! どケチ! お前なんか、チェリーでチキンなケチだ!」
 子どもか、この人は……。
 そのときだった。
 急に、Qは静かになった。その顔つきが、さきほどまでとは、まるで別人だ。
「Q……?」
「しっ」
 Qは唇に人差し指を当てた。その目はぼくではなく、窓の外や扉を交互に見る。
「静かに」
 Qはベッドから下りると、部屋の中央まで歩いた。
「窓からはなれろ」
彼女はそう言いながら、腰に手を伸ばし、拳銃をとりだした。ぼくは息を呑み、ベッドから下りて周囲を見た。
Qは、油断なく部屋のなかを見わたした。壁ごしに、外の様子を知ろうとしているかのようだった。事実、彼女にはそういう芸当が可能であることを、ぼくは知っていた。
彼女がかまえている拳銃は、いつも肌身はなさず彼女が持ち歩いているものだ。一つは腰に、もう一丁は足首のところに、隠し持っている。
Qは息を吸い、息を吐いた。外にいる何者かをためし、反応をうかがっているように見えた。ぼくには想像もつかない駆け引きが、そこでくり広げられていた。
 ぼくは、自分がとんだお荷物になってしまったように感じた。きっといま、在間恒一という存在は、Qの戦いにとって、完全に足手まといであるはずだ。
 ぼくの、そういった不安を嗅ぎとったのか。
「恒一、もし……」
 Qがぼくをふりかえる。
 それと同時に、部屋の入り口が蹴破られ、数人の黒いフード姿の人影が、ムダを感じさせない動きで、部屋に飛びこんできた。
 人影──事実、ぼくの目には、それは影としてしか認識できなかった。
 Qは、俊敏に対応した。複数の人影に向きなおりつつ、ぼくをかばうような位置に立ち、かまえた拳銃の引き金を引いた。
 ぼくには、ひどくスローモーションのように見えた。
 Qは、すばやく二発撃った。
 弾は二つとも、先頭の人影に命中した。人影は後方に倒れこんだ。
 Qは、さらに撃った。
 その狙いは正確だった。だが、弾が相手に命中する直前、青い光にさえぎられ、蒸発した。
 魔力壁の展開だ、とぼくは悟った。
 進み出た黒ローブの一人が、杖を突きだした。
 念動力。
 Qのからだが、立っていた場所から弾き飛ばされた。
 彼女は壁に叩きつけられ、うめき、床に倒れこんだ。そのまま、動かなくなる。
「Q……Q!」
 彼女のもとに走ろうとしたぼくの首を、にぶい衝撃が襲った。
 意識が暗転する。
 闇は、またたく間に、にじり寄ってきた。



   D.C.


 軽快な口笛が聞こえてくる。すぐ近くからだ。
 ぼくは、目をさました。冷静に、状況を認識しようとつとめた。
 両腕両脚を、しばられている。なんとか首をよじって、横を見た。
 暗い。等間隔で置かれたロウソクのゆらめく炎が、唯一の光源だ。信じがたいほどよごれたいくつもの部屋や壁が、前から後ろへとながれていく。くさったテーブルやねじれたイス、割れた陶器、ゆがんだなにかが、床に散乱している。
 ぼくは運ばれていた。ストレッチャーのような車輪つきの台にあおむけの状態で固定され、抵抗することもできず、暗い洞窟のような屋内を、奥へ、奥へ。
 見上げると、ストレッチャーを押す人物の姿が見えた。口笛の主だった。曲調は、場所にも状況にも似合わず、喜劇的だ。真っ黒なフードに身をつつみ、奇妙な仮面をかぶっている。こちらを見下ろすこともせず、どんどん前へ押していく。
 床の上のなにかを、車輪が踏みくだいた。
 どこからか、絶叫のようなものが聞こえてきた。狭い屋内の壁を幾度も反響し、ぼくのところまで届いてくる。ぼくは、それが、自分の知る人間のものではないことを祈った。心から祈った。祈るだけでは足りないことくらい、わかっていた。
 地面の上のなにかを踏むたびにガタガタ揺れる台の上で、からだの内側からあふれだしてくるふるえを、懸命にこらえようとした。
 考えろ。
 脳に指令を送るが、頭のなかは恐怖でいっぱいだ。恐怖に支配されている。
 ぼくは、自分がもといた世界のことを思った。東京を思い、アメリカを思った。わずかな学校生活のことや、これまでに経験した事件のことを思った。この世界に召喚されて以来、はじめてのことだった。
 角を曲がり、長いまっすぐの廊下を抜け、角を曲がり……。
 にごった空気のなか、ロウソクのにおいの合間をぬって、ただよってくる臭気。
 天井から、ケモノの死体がつるされていた。血が、したたり落ちている。
 ぼくは吐き気をこらえた。
 やがてぼくをのせた台は、そんなに広くない、がらんとした部屋の中央でとまった。台を押していた人物は、ぼくを台の上に残したまま、部屋を出ていく。
 状況を認識しようとした。
 自分をとらえたのは、連続殺人犯か? ここは、その隠れ家なのか? 女性たちを、じっくり時間をかけて切りきざんだ、拷問部屋なのか?
 だれかが、部屋のなかに入ってきた。さきほどの人物とはちがう。
 ぼくは、なんとかそっちを見ようとからだを動かした。
 その人物は、壁のほうを向いていた。棚からなにかをとりだしている。ナイフやハサミが、ちらっと見えた。わずかな炎の光を吸収し、するどく光っていた。
 その人物がふりかえり、なにかを手に、近づいてきた。
 殺されるのか? もっと、ひどい目に合うのか?
 話しかけて時間をかせぐか? 逆効果になるだろうか? 刺激すべきか否か?
 考えているうちに、相手は、すぐ横にまできていた。
 そっと、冷たいものが、喉におしあてられた。刃物でまちがいない。その切っ先が、わずかに、皮ごしに肉に食いこんでいる。
 その人物が、顔を近づけてきた。笑っていた。その吐息が、鼻先をついた。
 ようやく顔が見えた。
「ああ……」
 ぼくは、その人物を知っていた。
 目と目が合う。
 ぼくは、プロフェッショナルでありながら、その目の奥にある表情を、いっさい読み取ることができなかった。それで、相手もプロフェッショナルなのだ、と理解した。
「……どうする気ですか?」
 ぼくの問いに、その人物は、やはり笑う。ぼくを占有し、もてあそぶような、笑み。そんなふうに笑うのを見るのは、はじめてだった。じっと、ぼくの顔をのぞきこんでくる。
 そして。
 そっと、ぼくの唇に、自分の唇を重ねてきた。
 ふっくらと冷たい感触に、入りこんでくる舌先に、そのすべてに。
 死の、味がした。



   Act 3


 ぼくは、台の上で横になったまま、自分の唇を奪い、ほほえむ人物の顔を見た。
 黒ローブを羽織った少女は、この二日ほどで、よく見知った顔となった一人だった。
「ナズナさん」
 ぼくは呼びかけた。
 呼ばれた少女は、もう一度、ほほえんだ。
 彼女は、〈捜査騎士団〉のメンバーの一人、ナズナだった。
「ぼくは、どうしてここに?」
 問うと、喉に触れたするどい触覚が遠ざかった。
 ナズナは上体を起こし、ぼくを見下ろした。
「だれか、〈捜査騎士団〉のことをこころよく思っていない人間がいる。その人間が、〈ナイトレイド〉のこの支部に依頼をした。〈捜査騎士団〉メンバーを消すようにと」
 ナズナが、これだけ話すのを聞くのは、はじめてだった。ぼくは、とにかく話をつづけようと、質問を発した。
「〈ナイトレイド〉って?」
「裏社会の暗殺ギルド。端的に言ってしまえば、そういうもの」
「ぼくは、殺されずに連れ去られた」
「殺されるよ。好きにしていい、という依頼だったから、きっと、じっくりなぶり殺される。こっちの好きにできる依頼は、あまり多くないから」
 ぼくは目を閉じて、恐怖心とせいいっぱい戦った。
 自分の知っている少女だ。それなのに、彼女の冷たい目が、とてつもなく、こわい。
 犯罪者を見抜く経験と直感を、それなりに身につけているつもりだった。
 すべては、おごりだったのか。
 ……待てよ。
 ぼくは、必死に考えた。
 彼女は、殺される、と言った。殺す、ではなく。まるで、ぼく寄りの表現だ。
「どうして……」
 考えながら、会話をつなげる。
「どうして、こうなったんです? 宿屋には、ピュグマさんが生命探知の魔術を……」
「べつに、ナズナが手を引いたわけじゃない。生命探知を遮断する材質が、この世界には存在する。〈ナイトレイド〉のローブは、その材質で作られてる」
「ナズナさんは……」
 ぼくの言いたいことがわかっているのか、ナズナは無表情のまま首をふった。
「〈捜査騎士団〉にいるナズナは、ほんとうのナズナ。事件を解決したいのも、ほんとう。でも、ここにいるナズナも、ほんとうのナズナ。二つは矛盾しないし、切って離せない。どっちもナズナ。それは選べないし、変えられない」
「ずっと、つづけているんですか……?」
 ナズナを、じっと見つめた。
「ここでの、仕事を」
「そう。仕事」
「人を……殺している?」
「依頼があれば」
 ナズナは、かんたんに言った。
「でも、プロとは言えない。ときどき、私情だってはさむ」
 ナズナは、ぼくの目前まで顔を寄せ、ささやいた。
「逃がしてあげる」
「……え?」
「そのためにきた。コーイチが捕まったと知ったから」
 ぼくは、信じていいのかどうかわからず、ナズナを見上げた。
 冷静な判断をくだせていない、と思う。ナズナの言葉を、心の底から信じたがっている。そんな自己診断を下す、客観的な自分がいる。
 だが、ナズナがウソを言っているとは思えない。そう信じたいのではなく、そうであると確信できていると……信じる。
「だいじょうぶ。信じて」
 ナズナは、ぼくの疑念を理解しているというようにくりかえす。
「ほんとうに、逃がしてあげる」
「そんなことして……だいじょうぶなんですか?」
「どっちにしろ、この支部は終わり。匿名で、ここの情報を流した。もうすぐピュグマたちがくる。そのまえに、ナズナはここを出て、ピュグマたちと合流する」
「どうして、です?」
「……どっちも、ほんとうだから」
 ナズナは、すこし考え、言った。
「〈捜査騎士団〉のナズナも、ほんとう。そのナズナは、コーイチに傷ついてほしくないと思ってる。助けたいと、思った。だからきた。ヘン?」
 ナズナははじめて、わずかに不安そうな声を出した。
「ナズナは、ヘン?」
 ぼくは、なにも答えられない。
「ナズナが決めた。だから、ナズナは実行する。だけど」
 声の調子が、もとに戻った。
「いちおう、言っとく」
 ナズナは、先ほどまで首にあてていたナイフを、ぼくの眼前にかざした。
「もし、ナズナのヒミツをだれかに話したら」
「……話したら?」
「いつでも殺す」
 ナズナは、無表情に、無感動に、そう言った。
「ピュグマでも、モクでも、ほかのだれでも。だれに話しても、殺す。いつでも」
 彼女はたしかにそうするだろう、とぼくは思った。ナズナは言い聞かせるように、ナイフの腹を、ぼくの唇の上にすべらせた。
「いつでも、できるから」
 そっと、ナイフがはなれる。
「それから」
 ナズナの、妖しい瞳が、ぼくをのぞきこんだ。
「キスのことも、内緒。これ、ぜったい」
 そもそも、あれはなんだったのか、と問いたかったが、余計なことは言わなかった。
 ただ、うなずいた。ナズナは、「いい子」とぼくの頬に口づけた。
「恐怖との相乗効果。興奮した?」
 その問いには、反応をしめさずにおいた。
 ナイフが動き、ぼくは、自分の全身が自由になったことを知った。
「しばらくは、だれもこの部屋に入ってこない」
 ナズナはナイフをしまいながら言った。
「コーイチが、人生の最後に、ナズナとイイコトしてると思ってる」
「ナズナさん……」
「ナズナは行く。ピュグマたちといっしょにここにくるまで、コーイチはここにいて。なにかあったときに抵抗できるよう拘束はといたけど、ピュグマたちが疑問をいだいたら面倒。だから、この部屋のカギはかけてく」
「ナズナさん! Qは?」
 ほとんど悲鳴に近かった。なによりも、それが知りたかった。
「……知らない」
 ナズナは言った。ウソはついていない……と思う。
「ナズナは、見てない」
「さがしてください」
 懇願だった。
「ぼくはいい。ぼくのことはいいんです。Qをさがしてください」
「時間がない。ナズナは、もう行く」
「なんとか──」
「カギはかける」
 ナズナは、議論の余地なく、そう言った。
「でも、奇跡的に自分の力で出られたら、そのあとのことは知らない」
 ナズナは、扉から外に出た。最後に、ぼくを見ながら、自分の唇に触れた。
「またね?」
 そう言い残し、彼女は扉を閉めた。カギをかける音がした。
 だれもいなくなった部屋で、闇だけが支配者だった。
 ぼくはからだを起こし、台から床に下りた。そのまま、へたりこんでしまった。

       *

 ぼくは、はっとからだを起こした。
 急に、頭が回転を始めたのだ。恐怖がうすれ、意識がクリアになる。
 ナズナは言った。ナズナは言ったではないか。
 ──カギはかける。
 そのあとに。
 ──でも、奇跡的に自分の力で出られたら、そのあとのことは知らない。
 なぜわざわざ、そんなことを言う?
 ぼくは立ち上がった。
 ナズナは、その「奇跡」を、この部屋のどこかに、用意してくれたのではないか? あるいは、なにかを示唆してくれたのではないか?
 それとも、そんな推論や期待はすべて、ぼくの願望による妄想の産物か?
 動け。
 ぼくは、怯えきったからだを叱咤した。
 そうしなければ、どのみち答えは出ない。すべてが妄想だとしても、それが妄想であるという答えを出せ。それが、自分の選んだ生きかただ。
 思考を止めるな。からだを止めるな。
 頭を動かせ。からだを動かせ。
 じっとしていても、答えは歩み寄ってこない。自分でデータを集め、解析して、思考をめぐらせ、好奇心をあばれさせてこそ、答えに近づくことができるのだ。
 ──いつまで、そうやってんだ。さっさと動けよ。
 不思議と、聞こえてくるのはQの声だ。
 それが、なによりの、いちばんのささえだった。
 ぼくは、動いた。
 まずは棚を調べた。刃物類が大量に入っている。あきらかに、拷問用具だった。
 数ある銀や銅のなかに、カギは、まざっていなかった。それはわかりきっていた。なぜなら、扉には、カギ穴がないからだ。
 隠し扉を期待して、棚の裏を調べたりもする。
 すべて、ムダに終わった。
「どうすれば?」
 扉の前に立ち尽くした。
 無理やりこじ開けたり破ったりできるような扉ではない。
「自分の力で出られたら……」
 扉を開けられたら、とは言っていない。脱出手段は、扉ではない可能性がある。
 だが、棚の裏にはなにもないし、ほかの壁にも、とくにしかけはない。天井には手も届かない。だとすると、のこるのは……?
 考えろ! 考えろ!
 歩きまわる。考えごとをするときの、いつものくせだ。
「……?」
 立ち止まった。思考停止したわけではなかった。
 床で、一ヶ所、足音に変化があった。
 その周囲を歩きまわってみた。あきらかに、音が異なる部分がある。
 高まる期待を押さえつつ、床のタイルをさぐった。
 はたしてそこに、はずれるタイルが一枚あり、隠し通路がすがたをあらわした。
「Q……」
 のこる勇気をすべてふりしぼり、床下の穴へともぐりこんだ。

       *

 ぼくは、だれもいないことを確認し、床下から這い出た。
 心臓が高鳴っている。
 なにかがなにかを打ちつけるような不気味な音が、かつん、かつん、と一定のリズムで、どこからか響いていた。死の香りが常時ただよい、床には不快なねばりけがあった。
 ぼくが上がってきた部屋には、だれもいなかった。だが、見覚えのあるものが、よごれたテーブルの上に、無造作に置かれていた。
 Qの、拳銃だった。
 ぼくは、それを手にした。安全装置がはずれていることを確認した。
 最低限のあつかいかたくらいは知っている。海外の射撃場には幾度か足を運んだし、なにより、Qから教わったことの一つだ。
 だが、人を撃ったことはない。
 撃てるだろうか、とぼくは自己診断をこころみた。わからない、というのが正直なところだった。だが、Qを助けるためなら、おそらく撃てるだろう、とも思った。
 廊下に出て、左右を見る。拳銃がここにあったということは、Qも近くにいるかもしれない。足音を立てないよう注意しながら、廊下を進んだ。
 最初の部屋の前にたどり着き、わずかに顔を出して、なかをのぞきこむ。
 はずれだった。つぎの部屋を目指す。
 水のしたたり落ちる音が聞こえる。壁を、水が流れていた。
 ここは地下だ、とぼくは思いいたった。洞窟のような空間──悪の組織のアジトとしてはうってつけの場所、ということか。
 次の部屋をのぞく。
 ぼくは、Qを発見した。
 ぼくと同じように、台の上に寝かされている。そのかたわらに、だれかがいた。黒フードの人物だ。こちらに背を向け、Qをのぞきこんでいる。
 ぼくは、あせる気持ちをおさえた。拳銃を持つ手がふるえる。
 深呼吸した。
 拳銃ではない武器をさがした。発砲すれば、すぐ周囲に音が広がってしまう。
 すこし部屋に入って右手に移動すれば、棚がある。そこには、刃物のほかに、大きめのビンがある。あれで殴れば、一瞬で気絶させられるかもしれない。
 フードの人物に、ふりかえる気配はない。
 ぼくは、動きだした。
 ゆっくり、ゆっくりと、部屋のなかに侵入する。
 男が、口笛を吹いていることに気づいた。ぼくを運んだのと、同一人物らしい。
 よごれた地面がねばりけをはらんでいて、足をうまくすべらせるのが困難だ。
 ぼくは、たおれたテーブルの裏側に身を隠した。緊張で高鳴る鼓動に、じっと耳をすます。自分のからだをコントロールしきれないことがもどかしい。
 ぼくは、動く。
 慎重に、酒ビンに手を伸ばす。テーブルに隠れたまま、身をさらさないよう、手だけ出してとろうとする。もうすこしで届きそうだ。
 ふと、動きを止めた。
 口笛が、すぐ頭上から聞こえていた。
 見上げる。
 仮面が、たおれたテーブルの上から、ぼくをのぞきこんでいた。
 ぼくは拳銃を構えた。
 悲鳴は出なかった。そういう段階ではなかった。戦いのときだ。
 両者は、そのまま動きを止めた。不気味な口笛だけが、部屋に響く。
 その瞬間、なにかがからだに降りてきた。
 恐怖ではなかった。
 経験からくる思考、思考からくる自信、自分自身の勇気。
 不思議なほど、思考はクリアだった。なにをすべきか、鮮明にわかっていた。
 相手を怒らせろ。刺激しろ。状況を動かせ。引きつけろ。制御しろ。
「自分に自信がない」
 小声で、ぼくは言った。
「自分に自信がないんだ。殺害する相手の前でも、ぜったいに仮面を外さない」
 仮面が首をかしげる。ぼくは、言ってやる。
「軽快な口笛は、自分でも意識しないうちにからだが発している悲鳴だ。それを、楽しいから吹いていると勝手な解釈をしている。被害者に恐怖を与えているつもりでもあるかもしれない。だが実際は、だれよりも恐怖心をいだいている」
 拳銃の引き金に指をかける。だが、ぼくの武器は、それではない。
「まずまちがいなく、性的不能者だ。その欲望のはけ口として、人間を刃物で刺しつらぬく。とくに女性を襲っているときが、いちばん興奮する」
 男の口笛が、止まる。
 性的不能者、という指摘に怒りをいだいたことは、一目瞭然だった。
「いつからそうなんだ? えっ? いつから、できなくなった?」
 強い口調でつづける。
「結婚しているが、子どもはいない。もう、長いあいだ、妻を抱いていない。抱けないんだ。そのことで、すっかり自信をなくしている。毎晩、いらだちをつのらせている。妻には頭が上がらず、いつも怒鳴られたり小言を言われたりしている。性的に機能しさえすれば、男の武器で完全に支配し征服してやるのに、と暗い情動を内に秘めている」
 ぼくは、次から次へと言葉を発した。
「ちゃんとした表の仕事も持つが、その仕事には満足していない。自分が必要としている達成感を、仕事で得ることができないんだ」
 男がふるえはじめている。怒りから、だろうか。
 ぼくは、不思議な感覚をおぼえる。
 恐怖心は、すっかり消え去っていた。力がみなぎってくる。
 ここは敵の本拠地であり、危機的状況に変わりはない。
 だが、いま。このとき、この場所で。
 ぼくが、場を支配している。
「芸術をたしなむが、カンペキなものよりコアでアートな作品を好む。他者からは、あまり理解を得られない。そのズレに、なぜわからないのかと、怒りすらおぼえている」
 幾人もの犯罪者を相手にしてきた。その経験は、異世界に飛ばされようと、役に立つ。
 人は、結局のところ、人なのだ。
 暗殺者ギルドなど、アメリカのカルト集団と、なんら変わらない。
「つまらない人間だ」
 ぼくは言いきった。
「こうして型に当てはめることができる。奇怪な仮面をかぶって、闇にまぎれるローブを羽織って、特殊ぶって、特別ぶって、ダークヒーロー気取りで、無力な犠牲者を何人殺して力を誇示しようとしても。その正体は、ごくふつうの、どこにでもいる、ただの男だ。仮面を脱いで、家庭にもどれば、弱さをとりもどす」
「やめろ」
 男は言葉を発した。その手のナイフが持ち上がる。
「やめるんだ」
「その言葉は妻に言え」
 ぼくは、目をそらさない。
「ずっと言いたい言葉なんだろう。こんなふうに、毎日責め立てられるんだろう。どうしようもない人間だと、どうしてもっとしっかりできないのかと。一人では、なにもできないのかと。価値のない、とるにたりない存在だと」
「やめろ!」
 男がさけんでナイフをふりかざした。
 ぼくは、男の足もとのテーブルを蹴飛ばした。重い素材でできたテーブルは男に向かって倒れこみ、そのすねを強打した。男は悲鳴を上げ、地面にたおれた。
 ぼくはビンをとった。
 男が仮面の奥で、くぐもった苦悶の声を上げた。
 ぼくは、ビンをふり下ろした。力を加減したつもりだったが、自信はない。
 肩に、にぶく、びりびりと振動が伝わってきた。
 男は意識を失い、床の上に伸びた。
 ぼくはビンを落とした。
「Q……」
 まわりこんで、台のほうに向かおうとした、そのとき。
 後方から、獣のうなり声が聞こえてきた。
 ふりむき、戦慄する。
 扉のむこう──廊下の奥から、見たこともない、野犬に似たバケモノが数匹、走ってこようとしていた。
 魔獣だ。
 ぼくは状況を把握した。
 この組織の人間が、エモノを追いたてるため、おそらくは飼っているのだ。
 拳銃を構えた。
 ぼくの腕は、あまりよくは、ない。なら、最大限に引きつけてから撃たないとダメだ。
 獣が、ぐんぐんと近づいてくる。
 いままさにとびかかろうというそのとき、青い電撃が獣を襲った。
 ぼくは、その光量のまぶしさに、両手で顔をおおった。
 焼け焦げになった獣が、目の前に倒れこむ。
 つづいて、もう一匹を、なにかがしとめた。矢、だった。
「コーイチ!」
 さけびながらあらわれたのは、ピュグマだった。その手の杖をかかげる。数匹の獣が、まとめて弾け飛んだ。
 魔術師の後ろから、モクが飛び出した。跳躍してきて一匹の獣を矢で背中からくし刺しにし、その肉から抜いた矢を弓の弦にかけ、後方から迫りくる獣のアゴを射抜いた。目にもとまらぬ速さで、次々と矢を装てんし、発射する。
「コーイチ」
 いつの間にか、ぼくの真横にナズナが立っていた。
「助けにきた」
 その顔からは、やはり、いかなる表情も読み取れない。
 獣や組織の残党は、三人に任せる。
 ぼくは……。
「Q!」
 その人の、名を呼んだ。
 長年来の友人の名を。姉にも似た存在である、彼女の名を。
 彼女がいなければ、とうの昔に、在間恒一は死んでいただろう。
 彼女がいなければ、とうの昔に、在間恒一の心は折れていただろう。
 彼女がいなければ──。いまの在間恒一は──ぼくは、ない。ぜったい、ありえない。
 無事だろうか。無事でいてくれ。どうか、無事で。
 Qは台に横たわっている。動いていないように見える。
 どうすればいいのだろう。
 もし、Qが、いなくなってしまったら……。
 いったい、どうすればいいのだろう。
 彼女は、ぼくにとって、唯一、家族と呼べる人だ。そんな人が──。
 ぼくはQに駆け寄った。
「Q!」
 その顔をのぞきこむ。
 あいかわらず、キレイな顔だ。だが、血でよごれてしまっている。なぐられた跡がある。それ以外に、とくに外傷はなさそうだ。服も乱れていない。
 間に合ったのか? 間に合ったのだろうか……?
 いやだ。
 もう、なにかを失うのはごめんだ。
「Q、なにか言ってください」
 母親を起こすようなしぐさで、ぼくは、Qの肩をそっとゆすった。
「……ぁあ?」
 Qが咳きこんだ。
 ゆっくり、その目が開かれる。
「Q……」
「……恒一?」
「はい、ここです! ここにいます!」
 Qは、両目をしばたかせた。そして──らしくない小さな声で、要求した。
「……酒くれ」
「──ははっ」
 ぼくは思わず笑い、そのまま泣きくずれてしまった。Qの胸の上に顔を乗せ、子どものように、泣きじゃくってしまった。
 恐怖の正体が、ようやくわかった。
 ぼくは、Qを失うのが、こわかったのだ。
 ここに連れてこられてから、ぼくは、Qを失ってしまうのではないかという予感が、ずっと、こわくてしかたがなかったのだ。
「聞いてたぞ」
 Qの言葉に、顔を上げた。彼女は、誇らしげな表情を浮かべていた。
「性的不能者とは、痛烈だったな」
 かすれた笑い声を、Qはあげた。
「ヤツの負けだ」
「ええ。ええ、そうですよ。ぼくたちの勝ちです」
 Qの手を、にぎりしめる。
「ここから、すぐ下ろします」
「やさしくしてくれよ」
 Qは弱々しく、軽口をたたいた。
「私は……レディなんだから」

       *

「よかっ、た、のだっ」
 ピュグマは、先ほどまでのぼくに負けず劣らず、大声で泣きじゃくっていた。
「二人に、もしもの、ことが、あったら……って……」
 モクも、ぼくのからだをぎゅうぎゅうに抱きしめ、顔をペロペロとなめまわしてくる。
「間に合って、ほんとうに、よかったのだ」
 ピュグマの手が腕に触れる。
 ぼくは、笑いかけた。
「ほんとうに、ありがとうございました」
「お礼なんて、必要ないのだ。もともと、二人が連れ去られてしまったのは、アタシたちの不手際なのだ。ごめん……なのだ」
「そんなこと──」
「だいじょうぶ?」
 そう問いかけてきたのは、ナズナだった。
 ぼくは、その顔を、どう見ればいいのかわからなかった。ただ、うなずいた。

「……ぼくを襲った男が、言っていました」
 ぼくは、毛布につつまれ、あたたかいコーヒーを飲みながら、言った。
 一瞬、ナズナと目が合う。
「彼ら〈ナイトレイド〉の支部は、ぼくたち〈捜査騎士団〉を消すよう、依頼を受けたと」
「あの連中が、依頼内容を明かしたのだ?」
 ピュグマが疑問の声を上げた。
「……聞きだしました」
 ぼくはそう答えてから、ベッドの上で眠るQを見た。
 ピュグマの薬学と魔術による治癒で、身体的には回復し、あとは疲労がのこっているだけだろうということだった。
 五人は、宿屋の一室に集まっていた。襲撃を受けた宿屋ではなく、新しく借りた宿だ。
「問題は」
 ぼくはベッドわきのイスに腰かけ、両手を膝のあいだで組み合わせた。
「だれが、その依頼をしたのか」
「想像はついてる?」
 ナズナが訊いた。ぼくはうなずく。
「ぼくたちの追う、犯人。〈秩序型〉のアンサブAですよ」
「まあ、それはそうなのだ」
 ピュグマが言う。
「捜査してると知って、あせったはずなのだ」
「ここで注目すべきなのは」
 ぼくはつづけた。
「ぼくたち五人分の殺害を暗殺ギルドに依頼する資金がありながら、女性たちの殺害は自分の手でおこなっているという点です。あの三件の殺人は、どう見ても組織のからんだものではない。単独の、素人による犯行です」
「どういうことなのだ?」
「ぼくたちを消そうとしたことと、三人の女性たちを殺したことは、性質的に異なる、ということです」
「性質的に……?」
「犯人は、三人の女性たちを、自分の手で殺さねばならなかった」
 ぼくは、言いきった。
「そういった強迫観念的要因がないなら、暗殺ギルドに依頼すればすむ話です。この犯人は、理知的でありながら、精神を病んでいます」
「自分の手で」
 声が上がった。
「自分の手で殺さないと、気がすまないんだ」
「Q! ……もうすこし、寝ていないと」
「ええい、だいじょうぶだ。病人あつかいするな」
 彼女は足で布団をからめとり、わきへと捨てて、起き上がった。
「幼児期の体験が影響するなりして、性と暴力が直結しているのか? つまり──みずからの快感のために、犠牲者を殺しているのか?」
「アンサブAは〈淫楽型〉と思われますから、ふつうに考えるなら、そうです」
「対人暴力と性的な満足が密接に関連し、犯人は殺人によって性的満足を得ようとする。殺人こそが快感であり、性的にコーフンするイベントなんだ」
 Qの言葉を聞きながら、ぼくはどういうわけか、〈ナイトレイド〉のアジトで、自分にナイフを突きつけながら唇を重ねてくる、ナズナの姿を思い出していた。
 思わず、彼女のほうを見る。
 ナズナは、ぼくを見ていなかった。無表情に、発言者であるQを見つめている。
 ぼくは首をふって、その光景を頭からふりはらった。
 事件に集中する。
「殺害から快感を得ようとするために、〈淫楽型〉にとって大事なのは、殺害行為そのものの過程だ。犯行には、じっくり、時間をかける。アンサブBとくらべてみればわかる。奴は〈幻覚型〉だ。殺害行為の過程ではなく遂行にこそ比重が置かれ、すばやく殺害する」
 ぼくは頬を指でたたいた。
 思考が、飛躍する。標準的なプロファイリングを、一度、無視する。
「……どうした? 恒一」
 Qが、ぼくの様子に気がついた。
「気になっている点があります」
 ゆっくり言った。
「〈淫楽型〉にかぎらず、〈秩序型〉は、通常、顔見知りでないものを標的にします」
 すべての視線が、ぼくに集まっていた。
「ですが、このアンサブAはちがう。犠牲者たちの常連客だと思われるからです。そもそも、ペペを売る女性を狙っていること自体が納得いかない。彼女たちは、ふつうの一般的な女性よりも警戒心が強い。マリアンにいたっては、魔術の心得すらあった。リスクが高すぎるんです。ふつう、こういった犯人は、弱い人間を襲う。そういう、襲いやすい人間を的確に見抜く嗅覚を、彼らは才能として持っているんです」
 しだいに、考えがまとまってくる。
「金髪で同年齢の女性──これだけの共通点なら、それが犯人のタイプである、で説明がつきます。しかし、ペペの売人──これだけが浮いている。もちろん、そういう特殊な人間ばかり襲う犯罪者というのは存在します。ホームレスばかりを狙ったり、ゲイばかりを狙ったり。ですが、このアンサブAには、それはそぐわない。どこか、ちぐはぐなんです。なにかがおかしい」
「待てよ。犯人が、故意に私らをミスリードしていると言いたいのか? プロファイリングを混乱させ、捜査をかく乱しようとしていると? この世界の人間は、行動分析より有名な科学分析だって知らないんだぞ」
「故意じゃない」
 ぼくは、気がついた。
「故意じゃないんですよ」
「なに?」
「故意に現場を偽装したわけじゃない。プロファイリングされる犯人像をごまかそうだとか、そういう考えがあったわけじゃない。これは模倣なんです」
 ぼくは立ち上がる。
「模倣ですよ! 犯罪にくわしくない世界だから、その可能性を心のどこかで除外してしまっていました! この犯人は、模倣しているんです! そして、そのことによって満足感を得ようとこころみている!」
「……だからダガーか」
 Qは納得したように言った。
「それで、二つの事件は、表面的には似てしまったんだ」
「そうです! 彼がダガーを使ったから、アンサブAも、ダガーを使用した」
「ちょ、ちょっと待つのだ。ちゃんとした説明要求」
 ピュグマが両手でぼくを制し、言う。
「だれがだれをどうしたからだれがどうするって? 模倣って、どういうことなのだ?」
「アンサブAは、べつの殺人をマネして、自分の殺人を犯している。一種の模倣犯なんです。そこまで正確にマネしているわけではないですが、表層は沿ってる」
「べつの殺人をマネしてって……」
 ピュグマは首をかしげた。
「べつの殺人というのは、なんなのだ?」
 ぼくはピュグマを見、ほかの全員を見わたした。
「アンサブBの殺人です」



   Act 4


「もうだいじょうぶなのか?」
 ぼくの宿の部屋で、Qはふりかえり、言った。
「万事オーケー?」
「どうでしょう」
 ぼくは、ベッドに腰かけたまま言った。
「日々を一日一日実感しているし──だいじょうぶなんじゃないでしょうか」
「他人ごとだな」
「そうですか?」
「たくさんの時間が流れたからか」
「昨日も数年前も、いっしょですよ」
 ぼくは立ち上がった。Qがいるのとは逆の方角に歩く。
「時間が解決するんじゃない。心が折り合いをつけるんです」
「どんなふうに?」
「それは──」
 ぼくは壁の前で立ち止まり、言いよどんだ。
「こんなふうに、ですよ」
「仕事人間め」
「お酒とドラッグにのめりこむよりマシでしょ」
「言えてるな」
「でしょ。いまさら、むかし話もしてられませんよ」
「私が見つけたとき──」
 Qが後ろまで歩いてきた。
「お前はただ……泣いていた。私は」
「Q」
 ぼくはふりむいた。目の前に、彼女の顔がある。
「ぼくは、だいじょうぶです」
 Qは、なにかをさがすようにぼくの目を見た。やがて笑みをこぼす。
「強くなったのか、強がるのがうまくなったのか」
「器用になったんですよ」
「ナマイキになった。ひねくれたんだな、コイツめ」
 Qが手を伸ばし、ぼくの頭をガシガシかいた。
「ちょっ、子どもあつかいは禁止ですって!」
「なにを言う、この青二才が」
 笑いながらQはぼくを解放した。
「もう……Qは変わりませんね」
「変わるヒマがないのさ」
「ぼくと逆ですね。止まっている時間がないような気がして」
「ははっ」
「なんで笑うんです?」
「なあ、恒一」
 Qは、一歩下がって、ぼくを見つめた。
「お前が誇りだよ」
「どうしたんですか……急に」
「言っておかなけりゃ、と思ってな」
「なにかの死亡フラグですか?」
「あるいはQ個別ルート突入フラグだ」
「なんですか、それ……」
「それからな」
 Qは、いつもの調子でつけくわえた。
「恒一、もし──」
 頭が吹き飛んだ。
 生あたたかいものが、ぼくの顔面にぶつかった。
 液体だった。
 轟音よりも、静寂が際立った。世界のいっさいが、息をひそめた。
「え? あれ?」
 ぼくは首をかしげる。
「Q?」
 半ば無意識のうちに、静止した相手の手をにぎりしめた。
「Q?」
 応えるべき頭部は、存在しなかった。
 空洞が、ぼくを見つめかえす。
「Q?」
 ぼくは、その深淵をのぞきこもうとした。
 歌が、どこからか聞こえてきていた。Qのからだからだろうか。
 絶叫が聞こえた。歌をかき消す。
 そのさけびは、ぼくの内側から聞こえてきていた。
 自分の頬に手をあて、ゆっくりとはなす。赤い液体が、べったりとこびりついていた。
「だいじょうぶか?」
 頭を失ったQのからだが問いかける。
「恒一、だいじょうぶか?」
 その両腕が持ち上がり、ぼくを抱きしめようとした。
 ぼくは叫び、深淵を見つめ、闇が自分をつつみこむのを待った。

       *

 目をさました。
 まだ心臓が高鳴っていた。汗をかいている。それも大量に。
 一度、二度と、深呼吸をくりかえした。汗だくで、ベッドにからだを押しつける。心臓がはげしく脈打っている。そのまま、深く沈みこんでいきそうな感覚。
 カーテンのゆれる窓の外に、おどろくほどたくさんの星が散らばっている。
 風が、すずしい。
 暗い室内で、鼓動がおさまるまで、しばらく天井を見上げていた。
 〈ナイトレイド〉のアジトを思い出す。そこで見たもの、聞いたもの。感じたこと。
 歌がつづいている。
 一瞬、悪夢がつづいているのかとおそれた。
 だがちがう。
 どうやら歌は、夢の外から聞こえてきていたらしい。
 三階建ての宿屋。歌声は、そのどこかから聞こえてくる。
 ぼくは立ち上がり、靴をはいた。
 扉に近づき、そっと開いて、廊下に出る。
 歌は、階下から流れてきていた。
 女性の声。
 窓からは、青い月の光が差しこんでいた。窓枠のかたちを影で描いた光が、廊下の赤いカーペット上に広がっている。光は、空気をも照らしている。かすかに、ほこりが舞っているのがわかった。
 あまりに幻想的で、まだ夢のなかかと錯覚を起こす。
 導かれるように、あるいは引き寄せられるように、ぼくは進んだ。
 階段の手すりの、削られた木の凹凸を指先に感じながら。
 広間に下りると、歌声の主がわかった。
 モクは、リュートのような弦楽器を弾きながら、歌っていた。
 その声は美しく、どこか力強く、そして儚かった。
 テーブル席やカウンター席に、目を閉じて彼女の声に身をゆだねる客のすがたが、いくらかあった。酒を呑むのも、雑談するのもやめ、みんな聴き入っている。
 そんななか、ピュグマもイスに腰かけ、モクのすがたを見つめていた。
 ぼくは、歌をジャマしないよう、静かにピュグマに近づいた。
「彼女の数ある特技の一つなのだ」
 ピュグマはモクから目をはなさないまま、小さな声で言った。
「特技というより……魅力かな」
「まだ起きていたんですか?」
 ぼくは訊いてから、モクを見て、つけ足した。
「二人とも」
「喪失を悼む歌なのだ」
 ぼくの問いに答えず、ピュグマは嘆息した。
「モクの声は、最初から自分のなかにあるものみたいに、心に沁みこんでくるのだ。聴いてると、自分と世界とを近く感じる。そう思わない?」
 今度は、ぼくが問いに答えなかった。そう思うからだ。
 歌はつづいている。
 ピュグマは、ようやくぼくを見上げた。
「お誘いするのだ。すこし散歩しよう」

       *

 夜の闇は、そこまで寒くなかった。
 木や葉や土からあふれる森のうるおいが、空気を清らかにしている。
 虫の音が、かすかにした。
「このあいだのことですけど」
 ぼくは、となりを歩くピュグマに話しかけた。
「このあいだのこと?」
「あの……温泉の事件というか」
「なんなのだ?」
 ピュグマは、弁論があるなら聞こう、というようにマユを上げた。
「すみませんでした」
「そんなあらたまって、あやまられちゃうと、調子がくるうのだ」
「いちおう……遺恨をのこさないように、と思いまして」
「謝罪は受理しとく」
「寛容な処置に感謝します」
「魔獣に噛まれたとでも思って、わすれるのだ」
 ピュグマは、舌を出しておどけた。
「あの歌声──」
 ぼくは話題を、さきほど聴いたモクの才能にうつした。
「彼女は、だれかを失ったんですか?」
「みんな、そうなのだ」
 ピュグマは星空を見上げている。
「みんな、そう」
「ピュグマさんも?」
「死別ではないけど」
 彼女の目は、なにかをさがすように、もとめるように、天をあおぐ。
「この世界では、別れは、めずらしいことじゃないのだ」
「世界にとっては、そうかもしれません」
 ぼくは、ピュグマが遠くへ行ってしまうのではないかと、どうしてそう考えたのかはわからないが、とにかくそう感じ、話しつづけた。
「でも、個人にとっては? 一人一人のなかで、その人にとってのたいせつなだれかがいなくなることは、決してよくあることなんかじゃ、ないはずです。その人のなかで、世界がくずれてしまうほどに」
「もちろん、そう。そうなのだ」
 ピュグマは立ち止まった。
「でも、生きてくかぎりは、かならずなにかを失ってくのだ。生きることは失うことだって、まえに知り合いが言ってた」
「それが、ピュグマさんにとっての、いなくなってしまった人ですか?」
「……どうして、そう思ったのだ?」
 その人の話をするとき、愛おしむように自分のからだを抱きしめたから。
 思っただけで、口にはしなかった。
 自分をいましめた。
 仕事以外で、プロファイルをするべきじゃない。行動判断をするべきじゃない。細かな深層心理を見抜いて、プライバシーを侵害するべきじゃない。
「すみません」
 小声で言った。虫の音に、またたく星の海に消えてくれることを祈った。
「喪失は、人間を破壊します」
 ぼくは、ピュグマから目をそらし、闇につづく街道の先を見つめた。
「そうやって、こわれていく人たちを、たくさん見てきました」
「たくさん?」
「ええ。たくさん。そういう人たちは、自分の辛さを、悲しみの深さを、他人や、自分自身に知ってもらおうと、わかってもらおうと必死になります」
 星がキレイだ。一つ一つが、自身の存在をアピールするように光っている。
「かなしいこと、くるしいこと、地獄のような現実を、意識的にも無意識的にも、ひたすら頭のなかで幾度も反すうして。狂気のおとずれを待ちつづけるものや、うつ病の進行をうながそうとするものもいました。現実から、非現実に逃げこむためです」
「この仕事を、つづけていく秘訣は?」
「これしかないんです、ぼくには」
 希望でなく、絶望を答えとする。
「問題なのは、喪失に、終わりがないということです。ただ、時間の流れがあるだけで」
「かなしいのだ」
「時間が解決してくれるということは、現実、あまりありません。わずかに遠ざかるというだけです」
「ふりかえる時間さえあれば、いいのだ。その時間を生むために、いまを生きてる」
「あえて停滞するということですか?」
「休息する、ということ」
「心しだいで、時間は……罰というか……トゲの上を歩くようなものに変貌します」
「時間は財産なのだ」
「立ち止まると、後悔ばかりが浮かんできませんか?」
「なにかを学べるなら、後悔は悪いことじゃないって思うのだ」
「……そうかもしれません」
 ぼくは、視線を星から地面に落とした。
「アンサブAのストレス要因は、なんだと思いますか?」
「ストレス要因?」
「なにかが、彼に一線を踏み越えさせた。犯行への決意に駆り立てた。その、きっかけです。最初の事件の起きる、すこしまえに、なにかがあった」
「喪失?」
「だいたいはそうです」
 ぼくはうなずいた。
「家族の喪失、恋人の喪失、仕事の喪失、自尊心の喪失……」
 二人でしばし考えこむが、思考が停滞する。
 なにかピースが足りない。情報が不足している。
「チームのみんなとは?」
 ぼくは話題を切り替えた。
「いつからの付き合いなんです?」
「じつは、そこまで長くないのだ。チームとして組んだのは、ほんとうに最近だし」
 ピュグマは肩をすくめる。
「そっちはどうなのだ? Qとは長い?」
「ええ。くされ縁です」
「たいせつな人?」
「その表現は誤解を生みそうですが、しかしながら答えはイエスです。彼女はぼくにとって、世界のすべてでした」
「……過去形?」
「いまは仕事もあるし、外の世界があります。そういう時期があったというだけです」
 出逢って間もない彼女に、なにを話しているのだろう。
「冷えてきましたね」
 逃げるようにぼくは言った。
「そろそろ、もどりましょうか」
「そだね」
 ピュグマは、わかった踏みこまない、というように賛同した。
「ありがとなのだ、付き合ってくれて」
「いえ」
「だれかと話したい気分だったのだ。モクの歌を聞くと、よくそういう気分になるのだ」
「わかる気がします」
「コーイチ」
 ふりむくと、ピュグマが手を差し出していた。
「あらためて、いいかな」
「──ええ」
 ぼくは、ピュグマの手をにぎった。
 ピュグマがほほえむ。その顔を半分だけ、青い月が照らしている。
 段階を踏んで他者のことを知りたいと、ひさしぶりの欲求をいだいたことに、ぼくは、感動をおぼえた。
「出逢いに感謝。これからも、よろしくなのだ」
 ピュグマの言葉は、失うばかりの人生ではないと、そう言っているように聞こえた。

       *

 朝。
 目をさますと、窓の外から声が聞こえてきていた。複数人の声だ。
 上体を起こして窓に顔を寄せると、庭を見下ろした。
 Qが、剣をふっていた。
「なに、やってるんだろう……?」
 すぐ横には、腕を組み、Qの鍛錬を見つめるピュグマのすがたもある。
「スジがいいのだ」
 Qが腕を休めると、ピュグマが近づいた。
「やっぱ、ふだんから鍛えてる人はちがうのだ」
「世辞はいいよ。正直な感想を教えてくれ。私は使えそうか?」
「そんなの、わからないのだ。あたしは専門家じゃないし、これからの訓練次第だし」
「弓よりは、しっくりきたが……」
 そうつぶやくQの視線の先には、モクがいた。そのとなりに、ナズナもいる。どうやら、ぼくだけが早起きしそこねたらしい。軽く疎外感をおぼえる。
「魔術はどうだろう?」
 Qが、わずかに意気揚々とピュグマに問うた。魔術を使ってみたいにちがいない。
「あたしくらいプロになると、向き不向きなど一目瞭然なのだ」
「つまり?」
「ほかをさがしたほうがいいのだ」
 Qは、見るからにガッカリした様子で、ため息をついた。
「なかなか、コレってのがないな。アックスとかハンマーとかスピアーとか……嫌いじゃなかったけど、もうちょっとこう……スマートさがないと、なんというか、そもそも捜査のジャマだしなぁ」
「どうして急に、自分に合う武器をさがしてくれ、なんて言いはじめたのだ?」
「私の使っている、銃、という武器には、弾数というものが──使用回数に制限があるんだ。弓矢でいう、矢、さ。この世界に現時点で持ちこめている矢の数は、あまり多くない。尽きることもある。そのとき、戦えません、では困る」
 ピュグマの問いに、Qは屈伸運動しながら答えた。
「それに、この世界では、いやこの世界にかぎらずだが、一つの武器に身をゆだねるのは、得策ではない。最後に頼れるのは自分の技術だ。技術の数は、多いほうがいい。それだけ戦いにおける選択肢が増える」
「戦士だね」
「守護騎士なのさ、あたしは。心配される立場じゃ、ダメなんだ」
 Qは屈伸運動を終え、しっかりと立ち上がった。
「それじゃダメなんだよ」
「小刀は?」
 声が言った。ナズナだった。
「たとえば、話題のダガーとか。ナズナは、使いやすくて好き」
 みんな、珍しいものを見たといった様子で、彼女を見た。彼女が事件と関係のないところで、自発的に発言するというのは、かなりまれなケースだ。
「ナイフのたぐいか」
 Qはアゴに手をそえて考えこんだ。
「もとの世界でも、何度か使ったことはあるが……それなら、むしろ日本刀は使いやすかったな。現代日本じゃ持ち歩けないんで、常用したことはなかったが」
「日本刀?」
 ナズナが首をかしげる。
「こういうのだ」
 Qは、身ぶり手ぶりで説明した。
「ふうん……待ってて」
 言い残し、ナズナは一瞬で姿を消した。
「あいつ……忍者か?」
「ニンジャって、なんなのだ?」
「あいつみたいなヤツのことさ」
「変わりもの?」
「くせもの、という意味では合ってるかもな。俊敏で、気配がないところとかな」
「おお、まさしくナズナなのだ」
 待つこと数分程度。
「お待たせ」
 ナズナがもどってきた。
「これ」
 ナズナは、いびつな剣を、Qに差し出した。
「こいつは……」
 Qは剣をかかげ持った。それは曲刀だった。朝の光を反射する。
「シミターかあ」
 ピュグマが手を打ち合わせた。
「思いつかなかったのだ」
「曲がり具合がおさえめで、刀身の細いものを見つけてきた。言っていた剣に近い?」
「ああ、これはかなり──」
 Qは一ふりして見せた。さきほどの剣のときより、あきらかに動きがいい。
「イケてるな」
「満足?」
「大満足だ。ああ、出逢った感がある。手にしただけでわかる。感謝するよ」
「どういたしまして」
「さっすが、ナズナ。武器のことになると、すごいのだ」
 ピュグマがナズナの肩をたたく。
「そうでもない……こともない」
「こいつを使いこなせるよう、今後も練習に付き合ってもらえないか?」
「もちろん。あたしはいいのだ」
 ピュグマがうなずく。Qは、ナズナを見た。
「ナズナ。おねがいできるか?」
「べつにいい。けど、早起きは苦手……ねむ」
「できれば、恒一に知られたくないんだ」
「どうして?」
「ヘンに気をまわされても困る。というか、こっちの意図をカンぐられるのもシャクだ」
 ひどい言われようだ。
「あいつはすぐ人の顔色を見てくるからな。プロファイラーだかなんだか知らないが、負けてたまるか。私たちのプライバシーは、私たちのもんだ!」
 なんだか、強大なラスボスみたいな言われかたをしている……。
「前から聞きたかったのだ」
 ピュグマが問う。
「コーイチとQって、どういう関係?」
「愛人!」
「即答なのだ! ……というか、マジメに答えるのだ! 訓練してやってるのに!」
「そう言われてもな……うーん」
 しばしの沈黙。
「私たちは……私たちさ」
 そこまで聞くと、ぼくは窓から離れた。これ以上、Qがなにかを言うにしろ、言わないにしろ、盗み聞きをつづけるのはよくない。
「プライバシーは、ぷらいばしー」
 耳もとで声が聞こえ、わっとぼくはベッドから転げ落ちた。
 そこにナズナがいた。
「えっどうして!? さっきまで庭に……というか、カギかけてたのに!」
「あんなカギ、動物でもカギ穴からもぐりこめる」
「Qみたいなことしないでください!」
「コーイチ、盗み聞きしてた」
「そっそれは……」
 そのとおりだった。
「すみません……」
「どうしてあやまる?」
「え、どうしてって」
「盗み聞きくらい、ふつうのこと」
「そ、そうですか……?」
「すうっ」
「ちょっ、ぼくのシーツになにしてるんです?」
「コーイチの匂い」
「下りてください」
「ケチー」
 いよいよQに似ている。やることが同レベルだ。
「ケチじゃありません」
「元気そう」
「ええ、おかげさまで」
「あんなに、おびえた目をしてたのに」
 アジトでのことを言っているらしい。自分から、そのことを掘りかえしてくるとは思わなかった。あまり意識してもしかたがない、あたりさわりなく会話しよう。
「そりゃ、するでしょう。こっちは殺されるかと思ったんですから」
 言ってから、トーンが不自然に軽かったかと後悔したが、ナズナの引っかかりは、そこではなかった。
「ちがう」
「え?」
「コーイチの恐怖は、自分の死に対してじゃなかった」
「どうして、そう思うんです?」
「わかる。恐怖の表情のちがいくらい」
 この少女も、プロなのだ。いったい、いくつの恐怖の表情を見てきたら、そのような域に到達するのだろう。あまり知りたくない部分だった。
「自分の死に対する恐怖じゃない。じゃあ、なに?」
「…………」
「ああ、ちがった」
 ナズナがわざとらしく、右の拳を左の手のひらに、ポンと置いた。
「伝えにきたんだった。そろそろ食堂に集まろうって」
「すぐ行きます」
「うん。待つ」
「あ、いや、着替えたいので」
「うん。待つ」
「いや、あの、服を脱ぎたいので」
「うん。待つ」
「あのですね、いま着ている服をですね、脱ぎたいんですよ」
「うん。待つ」
「上も下もですよ?」
 自分は、なにを言っているんだろう。
「ナズナがいると、マズい?」
「ええ、マズいですね」
「にやにや」
「なにを、ニヤニヤしているんです?」
「コーイチの困った顔、おもしろい」
「……はあ。わかってて、言っていましたね?」
「先に下りてる」
「そうしてください」
「ここで、ほんとうに下りたのか、気配を消しているだけなのか、わからないところがナズナの魅力」
「ほんとうに下りてください!」
「ふっふっふ」
 抑揚のない声で捨て笑いをのこし、ナズナの姿は見えなくなった。
 ぼくは一応、トイレのなかで着替えることにした。
 彼女が本気を出せば、それでもまだ安全にはほど遠いということはわかっていたが。

       *

 結局、朝食の時間はなかった。
 新たな死体発見の知らせが届いたのだ。一同はあわただしく、出発の準備をしている。
「シヅヤの家からは、大量の証拠品が見つかった。ヤツがアンサブBであることは、もはや疑いようがない」
「Qとナズナさんは、ひきつづきシヅヤを捜索しながら、ほかに未発見の犠牲者がいないかも調べてください」
 ぼくは、別れぎわに言った。
「おそらく、まだいると思います。周囲で行方不明になっている人間がいないか、調べてください。そして、シヅヤによる各現場の周辺で、アンサブAのプロファイリング結果をもとに、聞きこみ調査をおねがいします。アンサブAは、ぜったいに、シヅヤによる殺人現場を見たことがあるはずです。仮に見たことがなくても、かならず、何度か通って、外をうろうろしたことがあります」
 そして、とぼくは言った。
「これだけは、ぜったいに調べてください」
 つづくぼくの言葉に、Qとナズナは、うなずいた。
 ぼくには、考えていることがあった。これまでのことを頭のなかで整理し、宿で寝ているあいだに、わいてきた考えだった。
 宿を出る。
 ぼくとピュグマ、それにモクは、馬車で移動していた。
「ぼくたちは、新しい遺体が遺棄されていた現場に向かいます」
「どっちなのだ?」
 ピュグマが問うた。アンサブAによる事件なのか、シヅヤによる事件なのか。
「遺体は殺害地点から運ばれ、遺棄された。状態も新しい、という話でした」
 窓の外の景色を見る。
「ぼくは、アンサブAの事件だと予想します」

       *

 死体遺棄地点に着くと、ぼくは死体を見つめた。
 そして、これはどういうことだろうと、考えを走らせた。
 死体は、奥まった河原に捨てられていた。
 遺体は、運ばれている。その捨てかたや、被害者のタイプ、整然とした現場の雰囲気、傾向も、これまでのものと酷似している。犯行は〈秩序型〉の殺人者によるもので、アンサブAによる連続殺人の、新たな犠牲者であると結論づけることができる。
 その、死体の状態をのぞけば。
「これも、犯人のメッセージなんです」
 ぼくは、かがみこんでいた状態から、膝を伸ばした。
「遺体を移動させて遺棄している。それなのに、隠すつもりがないでしょう。とすると、そこには、なんらかのメッセージがあらわれている」
 膝についた土をはらう。
「遺体の置きかたを見てください。まるでゴミでも捨てるかのように、投げだしている」
「ひどいのだ……」
「これは、被害者をおとしめるやりかたです。ゴミ同然だと主張しているんです。なんの価値も持たず、いかなる存在理由も持たないと。もっと言ってしまえば、お前たちはこの世界にいてはいけない、人として生きていてはいけないのだ、と、被害者に向けて、そう言っているように聞こえます」
「コーイチ」
 ピュグマの手が、背中にあてられる。
「どうしたのだ?」
「え?」
「ふるえているようにみえたのだ」
 そうなのかもしれない。あまりにおそろしい、想像をしてしまったから。
「なにか、気づいた?」
「ええ」
 ぼくはピュグマをふりかえった。
「おかしいんです」
「おかしい?」
「この死体遺棄地点は、〈秩序型〉の特徴を示しています。あきらかに、アンサブAによるものです。でも、ところが──」
 ぼくは死体をしめした。
「あの遺体は、ちがう。〈無秩序型〉の特徴が数多く見受けられます。傷の具合も、これまでのものとはちがう。アンサブAの刺しかたじゃない。なにより、腹を裂かれている。これでは、まるで──」
「──シヅヤが殺した?」
 ピュグマが、その結論にたどり着いた。横で、モクが目を丸くする。
「ええ。ええ、遺体を見るに、そうとしか思えません。あれは、シヅヤによる殺人です。死体は新しいから、これまで発見されなかったものではない」
 ぼくは、汗をぬぐった。
「彼は、もう、とりかえしがつかないくらい、こわれているんだ……」
「コーイチ」
 ピュグマが言った。
「コーイチは、もうこの事件を、ほとんど理解しているように見えるのだ」
 ぼくはピュグマを見た。
「考えていることを話すのだ」
「さきに」
 ぼくは馬車へと向かった。
「この女性の家を調べましょう。……ペペを売っていた痕跡があるか、たしかめたい」
 ピュグマは、まだなにか言いたそうにしていたが、やがて追いかけてきた。

       *

 女性は一人暮らしであり、ペペの入ったビンは、カギのかかった一室で見つかった。
「ここで襲われていますね」
 ぼくは、床に触れた。
「なにかを、ひきずった跡があります」
「これでまちがいないのだ」
 ピュグマが杖で床を鳴らした。
「被害者はみんな、ペペの売人だったのだ」
「そういうことになりますね」
 ピュグマは、じれったさを打ち消すように、足を踏み鳴らし、ぼくの前に立った。
「コーイチ! そろそろ教えるのだ。どうしてさっき──」
 ピュグマは、宿屋での件を口にした。
「どうしてさっきナズナとQに、シヅヤの殺人による被害者の家族や恋人を調べろ、なんて言ったのだ」
 ぼくはモクを見た。彼女もまた、ぼくをまっすぐ見つめている。
「……あまり、気分のいい話では、ないですよ」
「そんなの最初からなのだ!」
 ピュグマがさけんだ。
「殺人事件の捜査なのだ! 気分がいいも悪いもないのだ!」
 ピュグマは拳をにぎりしめている。
 怒っている──ぼくにではない。この事件、そのものにだ。
 彼女は、根っからの正義を持っている。彼女は、〈捜査騎士団〉の一員なのだから。
 ぼくは、息をついた。
「──この事件が、ただの模倣ではないからですよ」
 ぼくは、モクを見て、ピュグマを見た。
「ただの模倣犯なら、狙うターゲットの年齢層が合わない。髪の色も合わない。被害者のタイプがちがいすぎる。それに、ペペの売人を狙う説明がつきません」
「それで、なにを考えているのだ?」
「これは──この殺人は、復讐なんです」
 ぼくは、考えを口にした。
「犯人は、シヅヤの殺しかたを模倣しているんじゃない。シヅヤによる被害者の殺されかたを模倣しているんです」
 モクが、息を呑んだ。
「同じ目に遭わせてやると、そういうことですよ」
「でも、でも」
 ピュグマが言う。
「殺されたのは、シヅヤではなく、四人の女性なのだ。復讐なら、狙う相手がちがうのだ。おかしいのだ。説明がつかないのだ」
「つきますよ」
「四人の女性が殺されたことに、説明なんて──」
「ペペを売っていた四人の女性、です」
 ぼくは、訂正した。
「シヅヤがぺぺを購入した相手かもしれない四人の女性、です」
 ピュグマは、口を閉ざした。
「それだけで、説明はついてしまうんです。アンサブAの頭のなかでは、ね。彼は彼なりの思考のなかで、考えに考え抜いて、答えを出したんです。論理的に、彼は、その女性たちを殺さねばならないと、結論づけたんです」
 ピュグマは、ぞっとしたように自分の肩をなでた。
「いや、こう言ったほうが、より正確ですね。彼は、殺すしかなかった」
「でも、アンサブA自身もペペを買う常連客だったのだ?」
「ただの常連客なら、何人もの人間から買う必要はない。──これは、完全に単なるぼくの想像ですが」
 前置きし、つづける。
「まずアンサブAは、親しい人物を何者かに殺された。彼は、その時点ですでに、ゆがんでしまっていた。衛兵に殺人事件を届け出ていないからです」
「……この世界には犯罪捜査能力がないのだ」
「それも一因でしょう。だからこそ、自分で調査を開始した。もちろん、復讐を執行するために。そして、手がかりとして、現場に落ちたペペの花を発見した。持ち歩いていたシヅヤが落としたのかもしれない」
 両手をすり合わせる。
「犯人はペペにかかわる人間であると、アンサブAは推理した。ペペの売人か、あるいは常用者か。現場の状況を見るに、おそらく常用者であることくらいは見当をつけていたかもしれません」
 ぼくは一度言葉を切った。すぐに再開する。
「あちこちの売人と接触したでしょう。どんどんその社会にくわしくなった。顔を売り始めた。どこかに手がかりがあると信じて、そんな日々を送りつづけた」
「……執念なのだ」
「そしてアンサブAは……シヅヤを見つけた」
「え、見つけた?」
「はい。見つけたはずです。殺害の証拠をつかんだか、現場を目撃したか。そして、シヅヤをとらえ、拘束し軟禁している。そして──その精神状態を見たんです」
 ショックだっただろう、とぼくは想像する。
 やっと見つけた復讐すべき相手は、すっかりおかしくなってしまっているのだ。
「ぼくからすれば、シヅヤの精神状態はペペのせいではなく、これまで育ってきた環境によるものです。けど、アンサブAはそうは考えなかった。おそろしい幻覚作用をもつ花が、そのシヅヤという男をとてつもない狂気に陥らせたのだと、理屈を得た」
「それで……?」
「聞きだそうとしたんです。だれからペペを買ったのかと。しかし、シヅヤの精神状態では、近くに住む金髪の若い女性であると、そのくらいの特徴しかわからなかった」
「まさか」
 ピュグマは、口に手をあてた。
「そうです。アンサブAは、シヅヤにペペを売った可能性のある女性を、かたっぱしから殺すことにしたんです。そう決めたんです。それが正義であると信じ、愛であると信じて。ペペを売ったお前たちに、すべての発端があるのだと。だから、シヅヤに殺された自分の大切な人と、同じ目に遭わなければならないのだと」
 ピュグマのふるえる肩を、モクが、そっとさすった。
「じゃあ、じゃあ、さっきの新しい遺体は……?」
「アンサブAは、シヅヤの犯行を再現し、納得を得ようとしました。自分のなかで、折り合いを必死につけようとしたんです。それでも、どういうわけか満たされない」
 どうしてだ。なぜだ。
 アンサブAは、心の悲鳴を上げただろう。
 なぜ、許しがない。なぜ、愛するものの声が聞こえない。なぜ、とりもどせない。
 彼には、なにか強迫観念がある。彼は、なにかをもとめている。心の底からもとめている。そんなことがあるはずないと理性的に否定しながらも、事件を再現することで得ることのできるなにかがあると、彼は信じようとしているのだ。
 それなのに、何度、犯行を重ねても、目的のものは得られない。
「再現が完全ではないからだろうか──そう考えたんだと、思います」
「もう、やめるのだ……」
 ピュグマは両手を目に押しあて、涙を流した。
 ぼくは、捜査するものとして、そのつづきを口にせねばならなかった。
「アンサブAは自分の隠れ家に、シヅヤと女性の犠牲者、その両方を軟禁していた。これまでの殺人でも、両者を引き合わせたりくらいはしていたかもしれない。シヅヤの目の前で拷問し、殺して見せたりしたかもしれない。けど」
 ほんとうに、そうなのか。
 ほんとうに、人間は、そこまでこわれることが可能なのか。
 だが、そうとしか思えない。
 だから、これはきっと、真実。
「けど、今回は……アンサブAはシヅヤの拘束をといて……」
 ぼくは、最後を口にした。
「彼に、やらせた。彼の、好きなように」
 場は、しんと静まりかえっていた。
 その場に、かすかな振動が走った。ピュグマの杖のマギクスジェムだった。
 涙ぐんで声が出せそうにないピュグマに代わり、ぼくが出た。
「もしもし?」
「べつの遺体が見つかった」
 ナズナの声がした。
「Qが言うには、シヅヤによる犯行と見てまちがいない。けど、すでに発見された二体より、あきらかに古いもので、そのうえ、ほかの事件とは事情がちがう」
「ちがう?」
「現場が、家のなかじゃなくて、森のなか」
「最初の事件だ」
 ぼくは、すかさず言った。
「シヅヤにとっての、はじめての犯行ですよ」
「Qもそう言ってる」
「凶器は?」
「──被害者は腰にダガーをつけていた形跡があるから、おそらくそれを、そのまま使ったと思われる。けど……」
「〈無秩序型〉の特徴ですね。その場にあるものを使う。そのダガーが気に入って、次からも現場にダガーがあれば、使うようにしたのかも」
「けど、そのダガーが、どこにもない。これまでシヅヤは、凶器を毎回現場にのこしていたのに」
「……凶器だ」
「そう、凶器」
「ちがいます。アンサブAの凶器ですよ。彼は、その女性を殺したダガーを流用して、殺人を犯しているんです」
「──まさか」
「その女性については、調べました?」
「もちのろん。で、すこし気になること──おかしなことが」
「おかしな、と言うと?」
「被害者には旦那がいる。この旦那が、まず衛兵に妻の捜索依頼を出してる。行方不明だから探してくれ、て。けどその依頼、すぐあとに取り消されてる」
「……遺体を見つけたんだな」
「え?」
「いえ。それで?」
「遺体は、埋めてあった。衛兵や、嗅覚の強い獣人族の人たち大勢に手伝ってもらって、範囲内の各地を調べてたら、見つかった」
「アンサブAが埋葬したんです。そのときに、ダガーを回収した」
 ぼくのなかで、すべてがつながっていく。
「彼が発見したときには、遺体は、まるで捨てられているように見えたはずですよ」
 頭のなかに、これまでに見た、今回の事件の遺体が、すべてフラッシュバックした。次から次へと、フラッシュをたくように、鮮明に、浮かび上がっては消える。
「その遺体はきっと、ひどい状態でしょう。切り刻まれて、腹を裂かれて──。彼の目には、愛する人が、まるでゴミみたいに散らかされたあとのように見えたはずだ。彼は、それを再現しているんです」
 もう、終わらせるときだ。決着を、つけるときだ。
「ナズナさん……その被害者の女性、短い金髪なんじゃないですか?」
「……そう。どうして──」
「だからアンサブAの被害者たちは、髪を切られ、金色に染められた。彼女に似せるためです。これは、再現だから……」
「コーイチ? いったい──」
「ぼくたちは見つけました」
 目を閉じる。
「ナズナさん」
 ぼくは背筋を伸ばした。
「その夫が、ぼくたちのさがすアンサブAです」

       *

「名前は、ハレルヤ」
 馬車に乗りこんできたQが、横で資料を読み上げた。
「いま、首都の居住地区にある家は見てきたが、もぬけのカラだった」
「次の行動を起こしているのかも」
 最悪の事態を想定する。
「だとしたら、急いで彼を止めないと」
「どこへ行くっていうんだ?」
「首都にある家は、ただの居住空間です。彼の心があるのは、そこではない」
 ぼくは考えをめぐらせた。
「殺害地点の隠れ家は、べつにあるはずです。さすがに、生きたまま連れ去った被害者を一度首都に運び入れて、また遺棄のタイミングで運び出す、というのは、あまりに危険度が高すぎます。彼、別荘のようなものは持っていませんか?」
「資料には見あたらないな」
「シヅヤの家もちがったのだ。ほかにどこかあるかな?」
 向かいに座ったピュグマが、腕を組んだ。
「どこか空き家を見つけて、そこを使ってるとか?」
「しっくりきませんね……。もっと個人的に安心できる場所だと、ぼくは思います。彼にとっての殺人は、ある種の儀式に似た領域に入っています」
「儀式……」
 ぼくは、まだ未解決の事柄について、思いをめぐらせた。
 たとえば、死後につけられたと思われる、被害者の顔面への、大量の刺し傷。
 たとえば、彼を事件の再現へと駆りたてる、強迫観念めいたなにか。
 それらを考察しながら、同時に、ハレルヤの居場所の可能性も検討していく。
「彼の生まれ育った実家はどうです?」
「調べたんだが」
 Qは資料に目を落とした。
「もうないよ。全焼したんだ。彼の両親もろとも。そのとき、彼は学園のキャンプに出かけていて、家を留守にしていた。まわりの人によると、親の死に目にあえなかったと、嘆いていたそうだよ。遺体を見ることすら、彼はできなかったんだ」
「親の死に目……」
 ふと、ぼくは手にのせていたアゴをはなし、顔を上げた。
「その首都の家は、ハレルヤ自身が借りていた家ですか? つまり……奥さんは結婚して、ハレルヤの家にやってきた?」
「ああ、そうだ」
 Qはうなずき。
「──そうか、ちょっと待て」
 猛スピードで、資料を読みかえしはじめた。
「あったぞ!」
 Qは声を上げた。彼女は速読の技術をもつのだ。
「ハレルヤの妻、リリイの実家だ。場所は──やっぱりな、遺体が埋められていたすぐ近くだ。彼女の両親は、父親が他界し、母親は首都の養護施設にあずけられている」
「ということは、いまはだれも、その家に住んでいない?」
「そういうことだ」
 Qは立ち上がり、御者に行先を告げた。

       *

 ぼくたちは、馬車を降りると、家の周囲を観察した。
 扉も窓も、閉めきってある。
「ここ──」
 声が上がった。
「一度、聞きこみにきた」
 ナズナが、めずらしく感情を出し、あえぐように言った。
「留守みたいだった。だから、次の家に向かった」
「ナズナさん」
「あのとき、ナズナが、もし──」
「ムリですよ、ナズナさん」
「でも、止められたかも──」
「予測するなんてこと、だれにも、できません」
 ナズナは、ゆるゆると首をふった。
「なかに、だれかいますか?」
 ぼくの問いかけに、ピュグマは生命探知の魔術を使った。杖を家にむけ、ぐるぐるまわしながら、目を閉じる。その目が、まぶたのうらで動いている。
「──いる」
 やがて、ピュグマが言った。
「いるのだ」
「数は?」
「数、数は──え? 三人!?」
「新たな被害者だ。どこからか連れ去ってきたな」
 Qは拳銃を抜いた。
「三人の位置関係は?」
「みんな、おなじ部屋なのだ」
「状況までわかるか?」
「一人は立って歩きまわってるのだ。もう一人は、床に横になってる。最後の一人は、横になってる人間のとなりに膝をついてるのだ」
「順に、ハレルヤ、新たな被害者の女性、シヅヤ、ですね」
 ぼくは頭のなかに状況を思い描いた。
「また、シヅヤに殺させようとしてる」
「まずいな……」
「このままじゃ、殺されてしまうのだ!」
「ヘタに刺激するのも、よくない」
「ですが、シヅヤはおそらく、すぐにでも殺してしまうでしょう……」
 ぼくは顔を上げた。
「話をします。ぼく、一人で行かせてください」
「ダメだ」
 Qが首をふった。
 だが、ぼくはすでに、歩きだしていた。
「議論している時間はありません。行きます」
 Qをふりかえる。
「銃を貸してください」
「てっきり、いらないと言うと思ったが?」
 Qは銃を取り出し、ぼくに手渡した。
「刺激したくないとか言ってさ」
「丸腰であること、そのものが武器となることもあります。でも、今回は──彼は、おそらくもう、そういう段階を通り越しています」
 拳銃の重みを手に。ぼくは気をひきしめた。

       *

 玄関の、扉の前に立つ。息を吸って、吐く。それをくりかえす。
 ……だいじょうぶだ。
 扉を、ノックした。
「ハレルヤ?」
 なかで、動く気配がした。
 もう一度、扉をたたく。
「ハレルヤ? いるのか?」
「待て! 離れろ! 言うことを聞け、くそ!」
 なかで、小さく怒鳴る声がした。シヅヤを被害者からひきはなしているのだろう。自分が見ていないあいだに殺されてはかなわない。
「ハレルヤ?」
「うるさい! 帰ってくれ!」
 もう彼は、後戻りができないところまできている。
 ぼくは、扉を蹴破った。
「ハレルヤ!」
 さけんで、ぼくは声のした方向へ進んだ。開いている扉の部屋に入る。
 整った顔立ちの男が、女性の首にダガーを押しあて、立っていた。シヅヤらしい男は、なぐり飛ばされたのか、地面にたおれふしている。
 女性の髪は、短く切られ、金色に染められていた。おびえた目が、助けをもとめ、ぼくを見ている。
 拳銃をかまえたまま、ゆっくりと部屋に足を踏み入れた。
「おい! なかに入ってくるなよ!」
「ハレルヤ。ぼくは」
 言った。
「どうして、あなたがこんなことをしたのか知っている」
「へぇ」
 ハレルヤはせせら笑った。
「なにを知ってるって?」
「奥さんの──リリイの遺体を見つけた」
 いきなり、告げた。
 ハレルヤの表情が、くずれた。せせら笑いが、ガラスのように、砕け散った。
「──ウソだ」
「ほんとうだよ」
「掘り起こしたのか……?」
 ハレルヤは、ぼうぜんとした口調で言った。
「どうして、そんなことを……?」
「なんで、あのままにしておいたんだ?」
 ぼくは拳銃をかまえたまま、優しく問いかけた。
「どうして、あの場所に埋めた?」
「どうしてって……」
 ハレルヤは困惑したように言った。
「あそこが、彼女の、最期の場所だぞ」
 ハレルヤは言いながら、ダガーを女性の全身にすべらせた。
「彼女はもう、どこにも行けないんだ」
「そうだな、ハレルヤ」
「だれかが、そこで転がってるマヌケな男にペペを売ったんだ。それで、そいつはおかしくなって、リリイを殺した。リリイを殺したんだ!」
 ハレルヤはわめいた。
「自分が犯した罪の重みも知らずに、こいつらは稼ぎつづけているんだ!」
「ごめんなさい!」
 突然、女性がさけんだ。
「ごめんなさいごめんなさい! そんなつもりじゃなかったの!」
「なんだと?」
「そんなことになるなんて知らなかった──知ってたら、そこの男にペペを売ったりしなかった! 知らなかったの! 知らなかったの!」
「貴様が?」
 ハレルヤは、わずかに吹き出した。
「これまでの女は、ハズレか? そうか、貴様だったのか。そうかそうか。これで納得がいった。だからうまくいかなかったのか」
 ハレルヤは女性を乱暴にあつかい、自分のほうを向かせた。
「顔を見ろ──俺の顔を見ろ! よく見ていろ!」
 ハレルヤは、興奮したように言った。
「ようやくだ。長かった……」
「ハレルヤ──」
「邪魔しないでくれ!」
 ハレルヤはぼくを怒鳴りつけた。
「わかるか? その俺の喪失感が。ずっと、それをもとめつづけた俺の気持ちが」
「……だから、被害者が死んだあと、顔を斬りつけたのか。望むものを見せなかったから。見せてはくれなかったから。それで、いらだったんだ」
「なにをブツブツ言ってんだ!」
 ハレルヤは靴で壁を強く蹴りつけた。
「俺は、いなかった。あいつの最期に、俺は居合わせなかった」
 彼は悲鳴のような声を上げた。
「居合わせることが、できなかったんだ」
 親の死に目……。
「そうか、ハレルヤ」
 ぼくは、ハレルヤの目を見た。こわれようと努力してきたものの目だ。こわれたくても、こわれきれなかった。最後まで、理性がのこってしまった。自分のなかの打ち消す声、否定する声と、戦いつづけなければならなかった。彼は、あくまで、〈秩序型〉だった。
「──ハレルヤ」
 ぼくは、静かに切りだした。
「どんなにペペを売る女性たちを殺しても、ムリだ」
「ムリって……なにが」
「理性では、すべて復讐だと理由をつけた。わざわざ、ペペを売る、条件に合う女性を見つけてまで。復讐のための、正義の殺人だと、自分を納得させようとした」
「なにを、言ってる?」
「ほんとうの望みがあるんだろ。でも、それがかなわないことは、あなた自身が、よくわかっている」
「ほんとうの望みだって? なにがほんとうだって? おれは──おれには」
「ムリなんだよ、ハレルヤ」
 ぼくはさとすように言った。
「どれだけ女性を、奥さんがされたように殺したって、ダメなんだ。だって」
 ハレルヤが、自分の腕のなかの女性を見る。
「だって、彼女たちは奥さんでは──リリイでは、ないんだ」
「そんなこと、わかって──」
「いいや、わかってない。彼女たちではリリイの代役すらできないということが、わかってない。彼女たちはモノではない。彼女たちは、魂を入れる器ではない」
 いまや、ハレルヤは、はっきりとぼくを見ていた。
「ムリなんだよ」
 ぼくは首をふった。
「できないんだ。どんなに状況を似せたって、おなじ殺しかたをしたって。奥さんを殺したダガーを使ったって。たとえ、おなじ人間に殺させたって。──そこに、奥さんを見つけることはできない」
 ハレルヤは、雷に打たれたような顔をしていた。
「あなたが見ることのできなかった奥さんの最期の表情を、ほかの犠牲者の顔に見ることなんて、絶対にできっこないんだよ」
 つんざくようなさけびが発せられた。ハレルヤの口からであった。
 ハレルヤは、女性から離れ、ダガーを持つ手で頭を押さえながら泣きわめいた。
 ぼくは、走ってきた女性を抱きとめ、そのまま後方から逃がした。
 それを合図に、Qやモクたちが家のなかに飛びこんできた。ハレルヤを、あっという間に床に押さえこむ。シヅヤの身柄も確保した。
 ハレルヤは、まださけんでいる。身をよじらせながら、何度も妻の名前を呼んでいた。その近くに、妻を殺したダガーが転がる。彼はそれを、妻であるかのように愛したのだ。
 モクがシヅヤを立ち上がらせる。すると、意識を取り戻したのか、シヅヤが周囲を見まわした。そして、ぼくたちを見て、おぞましい笑みを浮かべた。
「助けに、きてくれたんだ?」
「──連れていけ」
 Qが、低く言った。
「……ケダモノなのだ」
 声が言った。
 ピュグマだった。杖をかまえている。その先には、シヅヤとハレルヤがいる。
「二人とも、人間ではないのだ」
「ダメ、ピュグマ」
 ナズナが言うが、ピュグマは、強く首をふった。その杖の先端にあるマギクスジェムが、魔術の色を帯びはじめている。
「こいつら、魔獣よりもケダモノなのだ」
「ピュグマさん」
 ぼくは、彼女の腕に触れた。
「終わったんですよ」
「終わらないのだ。たくさんの命が終わったのに、こんなことでは終わらないのだ」
「ピュグマさん……」
「生かしておけないのだ。いないほうが、いいのだ」
「だから、殺すんですか? ピュグマさん、ぼくたちは、そうじゃないでしょ?」
 両手で彼女に触れる。
「ぼくたちは、それだけじゃ、ないでしょ?」
「こいつら……だって、こいつら……」
 ピュグマの目に、大粒の涙があふれる。
「あんなっにっ、たくさんっ、人をっ殺してっ──」
「事件は終わりました」
 ぼくは、ピュグマに語りかけた。
「こっちを見て。ピュグマさん、ぼくを見て」
 がくがくとふるえながら、ピュグマは、ぼくを見た。
「ぼくたちは、事件を解決したんですよ。やったんです。わかりますか?」
 たまりにたまった涙が、とうとう決壊した。
 彼女は杖を落とし、膝をついて、天をあおぎ、大声で泣きはじめた。
「やれやれ」
 Qは、ぼくから拳銃を取りかえした。
「どいつもこいつも」
「もうすぐ、衛兵がくる」
 ナズナが、小さく言った。
「ナズナたちの仕事は終わり。さっさとここを出るに一票」



   Epilogue


 事件から、一週間がすぎた。
「一年契約だっけ?」
「契約書ちゃんと読んでいないでしょ。明確な期限は設けられていませんでしたよ」
「じゃあ、いつまで異世界にいなきゃいけないんだ!」
「異世界だワクワクが止まらないぜ! って言って、ろくに条件とか仕事内容に目も通さず、二つ返事で召喚されてきたのは、どこのだれですか」
「……だれ?」
「あなたです!」
 ぼくはため息をついた。Qは、あいかわらずだった。
「んじゃ、黒色のコーヒーを飲める日は、まだまだ先になりそうだな」
「紫色のコーヒー、気に入っているくせに」
 丘の上からの景色を見わたす。
「行ったことのない場所が、大量にありますよ。観光したいんじゃないですか?」
「……時間のツブしかたとしちゃ、そういうのも悪くないな」
 Qは、うずうずと足を動かした。
「海とか悪くないよな。この世界の海が見てみたい気がしないか?」
「行きたいんですね?」
「まあ、なんだ──お前が、どうしても行きたいって言うんなら、付き合ってやってもいいぞ。これでも、付き合いはいいほうだからな」
「またまた」
「なんだよ」
「Qのそういうとこ、かわいいとは思いますよ」
「なっ!?」
 あわてふためくQの反応を見て、いつものしかえしだ、とぼくは笑った。
「コーイチ」
 ナズナだった。
「ちょっと」
 ぼくは、彼女に引っ張られるまま、丘をすこし下りた木陰に入った。
「どうしたんです?」
「……ありがとう」
「え、なにが?」
「ナズナのヒミツ。コーイチ、だれにも言ってない」
「まあ……言ったら殺すって脅されましたしね」
 冗談っぽく言うが、ナズナの目は真剣だ。
「あれからも、ふつうに接してくれる」
「まあ──」
 ぼくは頬をかいた。
「それをどうこう言うほど、ぼくはこの世界にくわしくないし。ナズナさんには助けてもらったし。それに、ここにいるナズナさんも、ほんとうのナズナさんなんですよね? ぼくは、それを信じますよ」
「……うれしい」
「──え」
 ナズナが、ぼくの頬に唇を押しつけていた。
 唇がはなれたあともまだ、そのやわらかい感触がのこっていた。
 じっと見つめられて、顔が赤くなるのを隠せない。
「な、なに見ているんです……?」
「反応を見てる」
 ナズナが、自然な表情で、小さく笑った。それは、はじめてのことだった。
「コーイチ、かわいい」
 そう言って、ナズナは歩み去ってしまった。
 なにかが、落ちる音がした。
 ふりむくと、そこには、立ち尽くすモクのすがたがあった。
 その手から、地面に落としてしまったらしい、カゴが転がっている。なかからは、たくさんの果物が木陰に転がり落ちてくる。
 どうやら、ぼくのために集めてきてくれたらしかった。
 モクは膝から地面にへたりと落ちると、いまにも泣きだしそうな顔をした。
「ど、ど、どうしたんです!?」
 あわてて駆け寄る。
 モクは、身ぶり手ぶりで、ぼくと、木陰と、ナズナが歩み去った方角をしめした。
「……もしかして、見ていたんですか?」
 あの──口づけの瞬間を。いや、頬にだけど。
 それにしても。
 ナズナが気づかないとは思えない。とくに核心に迫る会話はしていなかったから、見られても平気だと判断したのだろうが……。
 それなら、どうして、頬にとはいえ、口づけなどという問題行動を……。
「ほ、ほら、立ってください。果物、集めてきてくれたんですか?」
 こくこくと、モクはうなずいた。
「ありがとうございます。オススメを教えてください」
 そう言うと、ぱあっとモクの表情が明るくなった。そして真剣に、いくつもの果物を吟味しはじめた。そのなかの一つを差し出しては、やっぱこれじゃない、こっちのほうがいいかも、と出したり引っこめたりを、くりかえしていた。
 ようやくモクが決めた果物は、ほんとうに、頬が落ちてしまうくらい、おいしかった。
「みんなー!」
 ピュグマの声がした。
「集まるのだー!」
 丘の上に、全員が集合した。ぼく、Q、モク、ナズナ。
 そして、ピュグマは、太陽を背に立っている。
「……どうして、果物なんか食べてるのだ?」
「いろいろあるんです」
 ピュグマの問いに、ぼくは肩をすくめた。
「それで、どうした?」
 Qが問うた。
「──三件の、殺人事件が起きたのだ」
 ピュグマは簡潔に告げた。
「三人の被害者には共通点があって、現場には、犯人からと思しきメッセージがのこされてた。これは連続殺人だと思われるってことで、〈捜査騎士団〉に出動要請が出たのだ」
「メッセージ、ですか」
 ぼくは訊いた。脳が、あっという間に切り替わっていた。
「そうなのだ。くわしくは現場に向かいながら説明する! みんな、馬車に乗るのだ!」
 ピュグマが先導する。
「移動しながら説明って……そんなに遠いんですか?」
 つんのめりつつ、ピュグマの後につづく。
「ここから、ぐっと南に下っていったところにある」
 ふりかえったピュグマの顔を、太陽が照らした。
「今回の事件が起きたのは、海沿いの街、アルヴィンなのだ!」


   To Be Continued…

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