ちょっとした実験小説、第三弾。相変わらず短いです。
静かで穏やかな世界に、とぷりと身を浸して頂ければ、幸いです。
静かで穏やかな世界に、とぷりと身を浸して頂ければ、幸いです。
「あー、至福のときなり」
如月帆奈は、ほうっと息をついた。
彼女は、古びた書店にいた。書棚に囲まれていた。ホコリの積もった木目調床材の上に、大の字で寝そべっていた。
漆黒の長髪と、派手目の真っ赤なスカートが、左右に広がっている。
「絵になるね」
「え?」
「絵画みたい、て言ったんだ」
その言葉に、帆奈がひょいっと顔を上げると、カウンターのむこうに座る、仁木健司が見えた。
カウンターの上には、大量の本が積んである。分厚い洋書がほとんどで、見た目が洒落ている。
その本の合間から、タイプライターに向かって伏せた顔がのぞいている。それだけでも、精悍な顔立ちがハッキリとわかる。
「ヌードのほうがよかった?」
いたずらっぽく、口にしてみる。
「えっ」
「あたし。そうしたら、見事な絵にならない?」
もとどおり上体を倒し、天井を見上げる。目に入るのは、アンティークなシャンデリア。
「いや──そのスカート、よく似合ってる」
「ふふん、照れちゃって」
「照れ隠しじゃなくて、どちらかというと、お世辞」
「ふーんだ」
いいんですよう、どうせあたしはお洋服を際立たせるためのマネキンですよう、とゴロゴロしてみせる。
「服、汚れない?」
「汚れは漂白すればいいの。洗濯機に仕事させなくっちゃ。買いたてであるからして」
「何キロ?」
「えっ、あたしの体重? やだあ、もう」
「や、洗濯機の容量」
「なあんだ。どして?」
「その、ふくらんだスカート。入るのかなって」
如月帆奈は、ほうっと息をついた。
彼女は、古びた書店にいた。書棚に囲まれていた。ホコリの積もった木目調床材の上に、大の字で寝そべっていた。
漆黒の長髪と、派手目の真っ赤なスカートが、左右に広がっている。
「絵になるね」
「え?」
「絵画みたい、て言ったんだ」
その言葉に、帆奈がひょいっと顔を上げると、カウンターのむこうに座る、仁木健司が見えた。
カウンターの上には、大量の本が積んである。分厚い洋書がほとんどで、見た目が洒落ている。
その本の合間から、タイプライターに向かって伏せた顔がのぞいている。それだけでも、精悍な顔立ちがハッキリとわかる。
「ヌードのほうがよかった?」
いたずらっぽく、口にしてみる。
「えっ」
「あたし。そうしたら、見事な絵にならない?」
もとどおり上体を倒し、天井を見上げる。目に入るのは、アンティークなシャンデリア。
「いや──そのスカート、よく似合ってる」
「ふふん、照れちゃって」
「照れ隠しじゃなくて、どちらかというと、お世辞」
「ふーんだ」
いいんですよう、どうせあたしはお洋服を際立たせるためのマネキンですよう、とゴロゴロしてみせる。
「服、汚れない?」
「汚れは漂白すればいいの。洗濯機に仕事させなくっちゃ。買いたてであるからして」
「何キロ?」
「えっ、あたしの体重? やだあ、もう」
「や、洗濯機の容量」
「なあんだ。どして?」
「その、ふくらんだスカート。入るのかなって」
他愛もない話。客はいない。帆奈のほかには。
かすかに、クラシック・ミュージックが流れている。
「すてきな、曲」
ため息が漏れる。
「すてきな、お店」
頭上の窓ガラスから、静かに光が降り注ぐ。
「すてきな、あたしたち」
「すてきな午後だね」
「んーん、そういうのとは、ちょっと、ちがうんだなー」
「どう、ちがう?」
「ちょっと無粋な感じがしたの」
目を閉じて、たゆたう。背中に確固たる床を感じているのに、不思議と安定感がない。
茫漠とした、ひとつの宇宙にいるみたいだ。ともすると、このまま、消えていってしまいそうな。
それは、書店という空間の、どこか非現実的な性格によるものだろう。
たくさんの物語に囲まれているせいか、ありとあらゆる境界線みたいなものが、揺らいでいる。
さて、消えるとしたら。それは自分だろうか、それとも周囲の世界──たとえば頭上のシャンデリアだろうか。
右手を握りしめる。この手のさきにある世界もまた、消えてしまうだろうか。
「先生」
目を開けた。シャンデリアは、まだそこにある。
「なに?」
「どうして、あの子を殺したの?」
かすかに、クラシック・ミュージックが流れている。
「すてきな、曲」
ため息が漏れる。
「すてきな、お店」
頭上の窓ガラスから、静かに光が降り注ぐ。
「すてきな、あたしたち」
「すてきな午後だね」
「んーん、そういうのとは、ちょっと、ちがうんだなー」
「どう、ちがう?」
「ちょっと無粋な感じがしたの」
目を閉じて、たゆたう。背中に確固たる床を感じているのに、不思議と安定感がない。
茫漠とした、ひとつの宇宙にいるみたいだ。ともすると、このまま、消えていってしまいそうな。
それは、書店という空間の、どこか非現実的な性格によるものだろう。
たくさんの物語に囲まれているせいか、ありとあらゆる境界線みたいなものが、揺らいでいる。
さて、消えるとしたら。それは自分だろうか、それとも周囲の世界──たとえば頭上のシャンデリアだろうか。
右手を握りしめる。この手のさきにある世界もまた、消えてしまうだろうか。
「先生」
目を開けた。シャンデリアは、まだそこにある。
「なに?」
「どうして、あの子を殺したの?」
一発必中の問いだったが、とくべつ場の空気が変わった感じもしない。すべては清浄なままだ。
発したものも、受け取ったものも。乱れることなく、平常運転をつづけている。
帆奈は、シャンデリアに視線を置いたまま。
顔を動かし彼の表情を見るべきか、悩んでいた。
「……すごいね。前置きとか様子見とか、省略した質問だ」
「効率重視」
「時間は、あるんだけどな」
クスクス笑い。
思いきって彼に目を向けると、まったく、帆奈を見てもいなかった。それが、ちょっぴり、おもしろくない。
「うーん」
彼は天井を見上げている。
帆奈とおなじように、意味もなくシャンデリアの細部を観察しているのかもしれない。
「それ──答えなくちゃいけない?」
「できれば」
「ううん。ねえ、それよりもさ、洗濯機の容量の話をしよう」
「答えたくないってこと?」
「いや、ええと、そうだなあ」
「つまり?」
「つまり、うまく言葉にできないんだ」
「もし警戒してるのなら、ボイスレコーダーとか、しかけてないから」
「信用してるよ」
「先生。どうしてあの子を殺したのか、教えて」
「困ったな……」
沈黙。彼が目を閉じた。
なにを考えているのだろう。世界の、あいまいさについて、とかだろうか。
やがて、その目が開いて。
「先生」
と、彼は言った。
発したものも、受け取ったものも。乱れることなく、平常運転をつづけている。
帆奈は、シャンデリアに視線を置いたまま。
顔を動かし彼の表情を見るべきか、悩んでいた。
「……すごいね。前置きとか様子見とか、省略した質問だ」
「効率重視」
「時間は、あるんだけどな」
クスクス笑い。
思いきって彼に目を向けると、まったく、帆奈を見てもいなかった。それが、ちょっぴり、おもしろくない。
「うーん」
彼は天井を見上げている。
帆奈とおなじように、意味もなくシャンデリアの細部を観察しているのかもしれない。
「それ──答えなくちゃいけない?」
「できれば」
「ううん。ねえ、それよりもさ、洗濯機の容量の話をしよう」
「答えたくないってこと?」
「いや、ええと、そうだなあ」
「つまり?」
「つまり、うまく言葉にできないんだ」
「もし警戒してるのなら、ボイスレコーダーとか、しかけてないから」
「信用してるよ」
「先生。どうしてあの子を殺したのか、教えて」
「困ったな……」
沈黙。彼が目を閉じた。
なにを考えているのだろう。世界の、あいまいさについて、とかだろうか。
やがて、その目が開いて。
「先生」
と、彼は言った。
「三度目の質問、していい?」
「やん、積極的」
「先生」
「わかった、わかった」
帆奈は笑って、空いている左手をひらひらさせた。
「でも、いまは長期店休なんだよね? 邪魔なんて入らないことだし、そんな焦らなくても」
「じらさないで」
彼の声は、あくまで真剣だ。帆奈は、ゆるりと息を吐いた。
「いいよ。して?」
「……なんで、彼を、殺したの」
「では、答えてしんぜよう。汚れはね、漂白しないといけないの」
「それが理由?」
「ほら、見て」
帆奈が指でしめしたさきに、それはある。
「ね。どう思う?」
「……絵になるね、彼」
「そうでしょ?」
「絵画みたいだ」
「そうなのそうなの。積まれた洋書とかも、いい感じ」
帆奈は、となりの手を、キュッとにぎった。
「ということ。納得した?」
「や、ちがう。先生、質問の答えになってないよ」
「え? そう?」
「どうして」
「うん」
「どうして、彼のほうを、殺したの」
ここへきて、ようやく、彼の視線を感じた。
だからこそ、今度は彼の顔を見れなかった。右手に、彼の体温を感じている。
「……そっか。それが質問?」
「ぼくを選んでくれなかった」
「いま、となりにいるのは、きみだけど?」
「ぼくを、殺してはくれなかった」
「ああ……」
彼の手が、ふるえている。
「あたしに、殺してほしかった?」
横目で見ると、彼はシャンデリアに視線をもどしていた。
「ぼくなら」
訥々と彼は言った。
「ぼくなら、先生のありのままを見ない。先生をありのまま見る」
「そう」
「着飾ったままの先生を、愛せるよ」
「うん、うれしいな」
「人間は、自分を繕えるんだ」
ちょうど店に流れている音楽が曲の切れ間だったため、その言葉は、ひどくこだました。
「やん、積極的」
「先生」
「わかった、わかった」
帆奈は笑って、空いている左手をひらひらさせた。
「でも、いまは長期店休なんだよね? 邪魔なんて入らないことだし、そんな焦らなくても」
「じらさないで」
彼の声は、あくまで真剣だ。帆奈は、ゆるりと息を吐いた。
「いいよ。して?」
「……なんで、彼を、殺したの」
「では、答えてしんぜよう。汚れはね、漂白しないといけないの」
「それが理由?」
「ほら、見て」
帆奈が指でしめしたさきに、それはある。
「ね。どう思う?」
「……絵になるね、彼」
「そうでしょ?」
「絵画みたいだ」
「そうなのそうなの。積まれた洋書とかも、いい感じ」
帆奈は、となりの手を、キュッとにぎった。
「ということ。納得した?」
「や、ちがう。先生、質問の答えになってないよ」
「え? そう?」
「どうして」
「うん」
「どうして、彼のほうを、殺したの」
ここへきて、ようやく、彼の視線を感じた。
だからこそ、今度は彼の顔を見れなかった。右手に、彼の体温を感じている。
「……そっか。それが質問?」
「ぼくを選んでくれなかった」
「いま、となりにいるのは、きみだけど?」
「ぼくを、殺してはくれなかった」
「ああ……」
彼の手が、ふるえている。
「あたしに、殺してほしかった?」
横目で見ると、彼はシャンデリアに視線をもどしていた。
「ぼくなら」
訥々と彼は言った。
「ぼくなら、先生のありのままを見ない。先生をありのまま見る」
「そう」
「着飾ったままの先生を、愛せるよ」
「うん、うれしいな」
「人間は、自分を繕えるんだ」
ちょうど店に流れている音楽が曲の切れ間だったため、その言葉は、ひどくこだました。
「裸の先生にしか──カラダにしか興味がない、中身を知りたがる子どもなんて」
彼の声に抑揚はなく、極端に感情をセーブした話しかたをする。
「殺すにしたって、あまりに無価値だ。そうでしょ」
「価値、ねえ」
帆奈は、しばし考える。
「やっぱ、顔かなあ」
「顔」
「うん、顔。彼、タイプだったんだ」
帆奈は左手を持ち上げ、自分の胸の上に置いた。
そのまま、腕で乳房を押しつぶすようにして、胸骨に触れる。
自身の強度を、確かめたかった。
「あたしも、俗人だなあ。生身のあたしなんて、そんなものか」
「先生」
「なあに?」
「スカート、綺麗だよ」
「ありがとう」
「殺して、ほしかった」
「うん。ごめんね」
彼が小さく泣き出してしまったので、帆奈は反対を向いた。
この年頃の男の子というのは、そういうすがたを、あまり見られたくないものだろう。
彼が泣きやむまでのあいだ、頭のなかで、なんとなく数を数える。
一、二、三……。三という数字は、調和と不安定を内包すると言われている。
彼が泣きやんだら、どうしようか。
視線のさきに、カウンターがある。
心地よくクラシックな曲が流れ。
光のなかを、ゆるやかに塵が泳ぎ。
書棚に積まれた、あまたの物語が見下ろしてくる。
世界から切り離されたような、この世界。
かぎりなく閉じていて、どこまでも開いている。
彼女と、彼と、死者と。
「すてきな、あたしたち」
帆奈は、そっと、ささやいた。
彼の声に抑揚はなく、極端に感情をセーブした話しかたをする。
「殺すにしたって、あまりに無価値だ。そうでしょ」
「価値、ねえ」
帆奈は、しばし考える。
「やっぱ、顔かなあ」
「顔」
「うん、顔。彼、タイプだったんだ」
帆奈は左手を持ち上げ、自分の胸の上に置いた。
そのまま、腕で乳房を押しつぶすようにして、胸骨に触れる。
自身の強度を、確かめたかった。
「あたしも、俗人だなあ。生身のあたしなんて、そんなものか」
「先生」
「なあに?」
「スカート、綺麗だよ」
「ありがとう」
「殺して、ほしかった」
「うん。ごめんね」
彼が小さく泣き出してしまったので、帆奈は反対を向いた。
この年頃の男の子というのは、そういうすがたを、あまり見られたくないものだろう。
彼が泣きやむまでのあいだ、頭のなかで、なんとなく数を数える。
一、二、三……。三という数字は、調和と不安定を内包すると言われている。
彼が泣きやんだら、どうしようか。
視線のさきに、カウンターがある。
心地よくクラシックな曲が流れ。
光のなかを、ゆるやかに塵が泳ぎ。
書棚に積まれた、あまたの物語が見下ろしてくる。
世界から切り離されたような、この世界。
かぎりなく閉じていて、どこまでも開いている。
彼女と、彼と、死者と。
「すてきな、あたしたち」
帆奈は、そっと、ささやいた。