ちょっとした実験小説パート2です。
前回が構造重視だったのに対し、今度のは情感寄りです。
──当店は、まもなく閉店いたします。
そんな張り紙を、わたしは見つめた。
店じまいする、という意味だ。
長かったような、短かったような。ここまで、あっという間だった。
とても感慨深い。
所狭しと店内にならぶ、本を見わたす。
一冊一冊が、とても愛おしい。
すべて、この書店には欠かせなかったもの。そして、これからは必要のないものだ。
「これ、ください」
店内を行ったり来たりしていた男性客が、一冊の本を差し出してきた。
教員に向けた、生徒指導にまつわる実用書だった。
熱心だな、と微笑ましく思う。
「お代は、もう、いただいたよ」
わたしが手を上げて言うと、男性は、ためらうような表情を見せた。
「や、でも──」
「それに。わたしが持っていても、しかたのないものだから」
わたしは、その本を丁寧にラッピングした。
「どうぞ」
本を、そっと手渡す。
「……大切にします」
男性は深く頭を下げ、立ち去ろうとした。
「あ、待って」
わたしは、ふりむいた男性に、手を差し出した。
「──きみなら、立派にやれるよ」
男性は、なにも言わず、その手を握ってくれた。
「よろしく、ね」
わたしの言葉に、男性は、ふたたび頭を下げ、今度こそ店を出て行った。
あの本を、生かしてほしい。それが、なによりの願いだった。
前回が構造重視だったのに対し、今度のは情感寄りです。
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そんな張り紙を、わたしは見つめた。
店じまいする、という意味だ。
長かったような、短かったような。ここまで、あっという間だった。
とても感慨深い。
所狭しと店内にならぶ、本を見わたす。
一冊一冊が、とても愛おしい。
すべて、この書店には欠かせなかったもの。そして、これからは必要のないものだ。
「これ、ください」
店内を行ったり来たりしていた男性客が、一冊の本を差し出してきた。
教員に向けた、生徒指導にまつわる実用書だった。
熱心だな、と微笑ましく思う。
「お代は、もう、いただいたよ」
わたしが手を上げて言うと、男性は、ためらうような表情を見せた。
「や、でも──」
「それに。わたしが持っていても、しかたのないものだから」
わたしは、その本を丁寧にラッピングした。
「どうぞ」
本を、そっと手渡す。
「……大切にします」
男性は深く頭を下げ、立ち去ろうとした。
「あ、待って」
わたしは、ふりむいた男性に、手を差し出した。
「──きみなら、立派にやれるよ」
男性は、なにも言わず、その手を握ってくれた。
「よろしく、ね」
わたしの言葉に、男性は、ふたたび頭を下げ、今度こそ店を出て行った。
あの本を、生かしてほしい。それが、なによりの願いだった。
男性と入れ替わりで、学生服を着た少年が入ってきた。
わたしは、彼にほほえみかけた。彼も、ぎこちなく笑った。
「なにか、おさがしかな?」
「えっと……」
「試験の近い時期だから、参考書とか?」
「でも、ここ、ほとんど国語しか置いてないですよね?」
「あー、まあね」
「国語は得意なんです」
「それじゃあ──」
「これ、ください」
それは、プラモデルに関する雑誌だった。
「よく見つけたね。この店にあるって、知ってた?」
「はい。友だちに聞いたんです」
「好きなんだ?」
「はい」
少年は、うれしそうに、はにかんだ。
わたしは、その雑誌を、懐かしみながら包装した。
「お友だちに、よろしく」
彼とも握手を交わし、見送る。その背中が、外光に溶けていった。
あの本が、彼の毎日に豊かさをもたらしてくれればいい。
次に来店したのは、剣道着すがたの少女だった。面をはずし、脇にかかえている。
「おつかれさま」
わたしが言うと、少女は涙ぐんだ。
「どうした? ひょっとして、なにか悩みでも?」
少女は、小さくうなずいた。
彼女は剣道にすべてをささげ、練習に練習を重ねている。
けれども、伸び悩んでいた。結果が出せない。
焦りだけが募って、部活仲間へのライバル心が、嫉妬に変質してしまう。
剣道が、ほんとうに好きなのか、わからなくなってしまった。
そう、彼女は話した。
わたしは、彼にほほえみかけた。彼も、ぎこちなく笑った。
「なにか、おさがしかな?」
「えっと……」
「試験の近い時期だから、参考書とか?」
「でも、ここ、ほとんど国語しか置いてないですよね?」
「あー、まあね」
「国語は得意なんです」
「それじゃあ──」
「これ、ください」
それは、プラモデルに関する雑誌だった。
「よく見つけたね。この店にあるって、知ってた?」
「はい。友だちに聞いたんです」
「好きなんだ?」
「はい」
少年は、うれしそうに、はにかんだ。
わたしは、その雑誌を、懐かしみながら包装した。
「お友だちに、よろしく」
彼とも握手を交わし、見送る。その背中が、外光に溶けていった。
あの本が、彼の毎日に豊かさをもたらしてくれればいい。
次に来店したのは、剣道着すがたの少女だった。面をはずし、脇にかかえている。
「おつかれさま」
わたしが言うと、少女は涙ぐんだ。
「どうした? ひょっとして、なにか悩みでも?」
少女は、小さくうなずいた。
彼女は剣道にすべてをささげ、練習に練習を重ねている。
けれども、伸び悩んでいた。結果が出せない。
焦りだけが募って、部活仲間へのライバル心が、嫉妬に変質してしまう。
剣道が、ほんとうに好きなのか、わからなくなってしまった。
そう、彼女は話した。
「そんなきみに、オススメがあるよ」
わたしは、指を立ててみせた。棚から、数冊の本を抜き出してくる。
それは、コミック本だった。
「剣道少年の話。少女じゃなくて、申し訳ないけれど」
わたしが笑うと、少女もかすかに笑ってくれた。
「初心を思い出す、キッカケになるかもしれない。まあ、読んでみて」
わたしは、本をまとめてラッピングし、袋に入れた。
「がんばってね」
言って手を差し出すと、少女が、ぱっと顔を上げた。
「ありがとう、ございました……!」
「こちらこそ。これまで、ありがとう」
ぽろぽろと大粒の涙をながしながら。彼女は両手で、わたしの手を、そっと、にぎった。
歩んでいく、前へと進んでいく背中を見つめながら。
あの本が、彼女の助けになればいい。そう、強く願った。
そうして、わたしは、閉店の準備を進める。
何人の人間に、どれだけの本を、わたすことができただろう。
後悔はないか。
わたしは、まだまだたくさんの在庫を見て、思う。
これだけの本が、ここには、あったのだ。自分で、おどろいてしまう。
だてに、長いこと営業していたわけではなかった、ということか。
扉の開く音がして、わたしはそちらを向く。
わたしは、指を立ててみせた。棚から、数冊の本を抜き出してくる。
それは、コミック本だった。
「剣道少年の話。少女じゃなくて、申し訳ないけれど」
わたしが笑うと、少女もかすかに笑ってくれた。
「初心を思い出す、キッカケになるかもしれない。まあ、読んでみて」
わたしは、本をまとめてラッピングし、袋に入れた。
「がんばってね」
言って手を差し出すと、少女が、ぱっと顔を上げた。
「ありがとう、ございました……!」
「こちらこそ。これまで、ありがとう」
ぽろぽろと大粒の涙をながしながら。彼女は両手で、わたしの手を、そっと、にぎった。
歩んでいく、前へと進んでいく背中を見つめながら。
あの本が、彼女の助けになればいい。そう、強く願った。
そうして、わたしは、閉店の準備を進める。
何人の人間に、どれだけの本を、わたすことができただろう。
後悔はないか。
わたしは、まだまだたくさんの在庫を見て、思う。
これだけの本が、ここには、あったのだ。自分で、おどろいてしまう。
だてに、長いこと営業していたわけではなかった、ということか。
扉の開く音がして、わたしはそちらを向く。
「あ──」
これまで、だれと話すときも、平静を保っていた。
わたしは送り出される人間であってはならない。送り出す側でいるべきだと。
どこか、そんな決意めいたものがあったからだ。
けれど、決壊した。
扉をくぐってくる女性のすがたを見て、なにもかも、歯止めがきかなくなった。
「おひさしぶり」
女性は、言った。
「ああ……ほんとうに」
わたしは、涙があふれるのを意識しながらも、なんとか応えた。
「なんか、変わってないね」
「そんなこと言って、中まで見るの、はじめてだろう」
「だいたい、どうなってるかくらい、わかるわよ。あなた、単純だもの」
「ひどいな」
「さて、わたしの知らない本がないか、さがしてみよう」
「やめてくれ、恥ずかしい」
わたしは。
さりげなく、カウンターの裏から、それを取り出した。
もう、ずっとむかしに、包装した本。
「これを、きみに……わたしたくて」
できなかった。わたせなかった。
どうしてだろう。いまとなっては、わからない。
いちど、くずれてしまった関係。破滅してしまった絆。
取り戻したくて、やり直したくて、それが、すべてだったのに。
つまらない意地だったのかもしれない。恐れ、だったのかもしれない。
彼女を、彼女との未来を、一生、未来永劫、失ってしまうこと。
その喪失を確定させてしまうこと。言葉にされてしまうこと。
それが、怖かったのかもしれない。
これまで、だれと話すときも、平静を保っていた。
わたしは送り出される人間であってはならない。送り出す側でいるべきだと。
どこか、そんな決意めいたものがあったからだ。
けれど、決壊した。
扉をくぐってくる女性のすがたを見て、なにもかも、歯止めがきかなくなった。
「おひさしぶり」
女性は、言った。
「ああ……ほんとうに」
わたしは、涙があふれるのを意識しながらも、なんとか応えた。
「なんか、変わってないね」
「そんなこと言って、中まで見るの、はじめてだろう」
「だいたい、どうなってるかくらい、わかるわよ。あなた、単純だもの」
「ひどいな」
「さて、わたしの知らない本がないか、さがしてみよう」
「やめてくれ、恥ずかしい」
わたしは。
さりげなく、カウンターの裏から、それを取り出した。
もう、ずっとむかしに、包装した本。
「これを、きみに……わたしたくて」
できなかった。わたせなかった。
どうしてだろう。いまとなっては、わからない。
いちど、くずれてしまった関係。破滅してしまった絆。
取り戻したくて、やり直したくて、それが、すべてだったのに。
つまらない意地だったのかもしれない。恐れ、だったのかもしれない。
彼女を、彼女との未来を、一生、未来永劫、失ってしまうこと。
その喪失を確定させてしまうこと。言葉にされてしまうこと。
それが、怖かったのかもしれない。
「小説なんだ。恋愛小説」
わたしは、かすれ声で言った。ふるえているのを、自覚した。
「──ばか」
彼女は、顔を上げて、笑った。
「遅すぎるよ、ばか」
「わかってる。ああ、わかってる」
わたしは、うなずいた。
「ごめんよ」
彼女は両手を伸ばした。
彼女は、綺麗だった。いまでも。むかしから。
そして、わたしの気持ちを、受け取ってくれた。
「さっき、そこで」
彼女は照れたように言った。
「わたしの写真集とか見つけたけど。それも大量に」
「そりゃあ……」
きみが、わすれられなくて。
「ねえ、もういいの?」
彼女が聞いた。
「うん、たぶん」
「みんなには会えた? わすれてる人はいない?」
「そう思う」
「まだたくさん、本がのこっているみたいだけど」
「いいんだ。古本屋にでも出そう。だれかがひょっこり、見つけてくれるかも」
「あなたのことを思い出してくれる人は、きっと、たくさんいるわ」
「そうかな」
「感じない? いまも、みんなが詰めかけているのよ」
もしそうなら、うれしいことだ、と思った。
後輩の教員や教え子、顧問をしている部活の生徒──。
まだまだ、のこしたいもの、たくしたいものは、数えきれないくらい、いっぱい、ある。
わたしが人生をかけて集めた知識、経験、技術……。
わすれかけていた趣味なんてものも、出てきたりする。
こんなにたくさんのものが、自分のなかに、満ちていたとは。
わたしは、かすれ声で言った。ふるえているのを、自覚した。
「──ばか」
彼女は、顔を上げて、笑った。
「遅すぎるよ、ばか」
「わかってる。ああ、わかってる」
わたしは、うなずいた。
「ごめんよ」
彼女は両手を伸ばした。
彼女は、綺麗だった。いまでも。むかしから。
そして、わたしの気持ちを、受け取ってくれた。
「さっき、そこで」
彼女は照れたように言った。
「わたしの写真集とか見つけたけど。それも大量に」
「そりゃあ……」
きみが、わすれられなくて。
「ねえ、もういいの?」
彼女が聞いた。
「うん、たぶん」
「みんなには会えた? わすれてる人はいない?」
「そう思う」
「まだたくさん、本がのこっているみたいだけど」
「いいんだ。古本屋にでも出そう。だれかがひょっこり、見つけてくれるかも」
「あなたのことを思い出してくれる人は、きっと、たくさんいるわ」
「そうかな」
「感じない? いまも、みんなが詰めかけているのよ」
もしそうなら、うれしいことだ、と思った。
後輩の教員や教え子、顧問をしている部活の生徒──。
まだまだ、のこしたいもの、たくしたいものは、数えきれないくらい、いっぱい、ある。
わたしが人生をかけて集めた知識、経験、技術……。
わすれかけていた趣味なんてものも、出てきたりする。
こんなにたくさんのものが、自分のなかに、満ちていたとは。
「……そろそろ、閉める時間ね」
「ああ」
この書店は、不思議な空間だ。
実際のわたしは、きっと、病院で横になっていることだろうし。
もっと、老いたすがたのはずだ。
手を伸ばして、すべての照明を落としていく。
ひとつずつ、書棚が、闇に消えていく。
しばらく、暗い静けさのなかで、わたしの世界を楽しんだ。
本の香りがする。それは、わたしにとって、とても身近なもの。
だからこそ、国語を教える立場となった。
「ねえ」
手を、にぎってくる。となりに、彼女がいる。
わたしの世界に、彼女がいてくれている。
「楽しかった?」
「ああ」
つい、口もとがゆるむ。
「とても、楽しかった」
「いい人生だった?」
「いい人生だった」
「そう。よかったわね」
「ああ。よかった」
ほんとうに。良き出逢いに、あふれていた。
苦しみも、痛みも、切なさも。
いまとなっては、すべてが、愛おしい。
ここにある、すべての本、すべての知識や経験が。
すべての人との関わりが。
この店を、わたしというカタチにしてくれた。
だから、すこしでもその恩返しができたなら。
わたしの人生が、培ったものが、だれかの役に立てたなら。
もうなにも、思いのこすことはない。
「じゃ、行こっか」
「あ、待って」
最期に。
わたしは、張り紙を新しいものに変えた。
──長きにわたり。
これまで賜りました皆さまのご愛顧に、
心から、感謝申し上げます。
ほんとうに、ありがとうございました。
「ああ」
この書店は、不思議な空間だ。
実際のわたしは、きっと、病院で横になっていることだろうし。
もっと、老いたすがたのはずだ。
手を伸ばして、すべての照明を落としていく。
ひとつずつ、書棚が、闇に消えていく。
しばらく、暗い静けさのなかで、わたしの世界を楽しんだ。
本の香りがする。それは、わたしにとって、とても身近なもの。
だからこそ、国語を教える立場となった。
「ねえ」
手を、にぎってくる。となりに、彼女がいる。
わたしの世界に、彼女がいてくれている。
「楽しかった?」
「ああ」
つい、口もとがゆるむ。
「とても、楽しかった」
「いい人生だった?」
「いい人生だった」
「そう。よかったわね」
「ああ。よかった」
ほんとうに。良き出逢いに、あふれていた。
苦しみも、痛みも、切なさも。
いまとなっては、すべてが、愛おしい。
ここにある、すべての本、すべての知識や経験が。
すべての人との関わりが。
この店を、わたしというカタチにしてくれた。
だから、すこしでもその恩返しができたなら。
わたしの人生が、培ったものが、だれかの役に立てたなら。
もうなにも、思いのこすことはない。
「じゃ、行こっか」
「あ、待って」
最期に。
わたしは、張り紙を新しいものに変えた。
──長きにわたり。
これまで賜りました皆さまのご愛顧に、
心から、感謝申し上げます。
ほんとうに、ありがとうございました。